「お前、遊んでんのか?」根本陸夫は高橋直樹が公園にいることを知っていた (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「公園で練習するとものすごく調子いい。苦しさがないんだろうね。スパーン、スパーンと気持ちよく投げて、キャッチャーに『高橋さん、いいじゃないですか!』って言われる。公園だからマウンドがあるわけじゃない、平地で、だいたいの距離で。

 そのときに思ったのは、オレ、去年より、一昨年より、今のほうが調子いいんじゃないかっていうことでした。2年間の疲れがとれたのか、構えたミットにピシャー、ピシャーって行くんですよ。ゲームがないから、いざこざもなんにもないのもいいし」

 そうして、まさにやる気が起きていたとき、82年6月のことだ。西武の球団管理部長、根本陸夫から電話がかかってきた。あたかも、高橋さんが公園で練習していることを承知しているような第一声だったという。

「お前、遊んでんのか?」

「はい」

「うちね、今ね、優勝かかってんだけど、ピッチャー足りなくて困ってるんだ。力を貸してくれんか。お前、投げられるか?」

「投げられますよ。いやもう、やりますよ。今、絶好調ですよ!」

 根本は67年に広島のヘッドコーチに就任し、68年から監督に昇格して72年まで務めている。この広島との関係性が、陰で隠れていた高橋さんの情報入手につながったようだ。西武は投手の古沢憲司、内野手の大原徹也を交換要員に広島とのトレードを成立させ、高橋さんを獲得した。当時は前期後期制のパ・リーグにおいて、所沢移転後初の栄冠となる前期優勝に向けた緊急補強だった。

「移籍は6月12日でした。すぐベンチに入って14日の近鉄戦。この試合は2回までに西武が7点を取ったのに、2回裏、一挙8点を取られたんです。それで僕は3回途中から4番手で登板したんですが、6回に西武が3点を取って逆転して、最後まで投げてリードを守って1勝を挙げられた。前期はこの1勝だけでしたが、優勝に貢献できたと思います」

 その後、高橋さんは後期だけで6勝を挙げる活躍。後期の優勝は日本ハムだったが、10月のプレーオフ、前期優勝の西武は3勝1敗で日本ハムを下し、所沢移転後初のリーグ制覇を達成した。プレーオフでは第1戦、第2戦と、西武打線が抑えの江夏を攻略したことが大きかった。第1戦に先発して5回2/3をゼロに抑えた高橋さんにとっては、因縁の古巣との対決で結果を出した形となった。

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