「お前、遊んでんのか?」根本陸夫は高橋直樹が公園にいることを知っていた (5ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 翌83年、高橋さんは13勝3敗という好成績で最高勝率のタイトルを獲得。プロ15年目で自身初の勲章だった。84年は2勝に終わるも、85年は40歳で球界最年長投手になりながら7勝をマーク。86年に移籍した巨人では結果を出せず、同年限りで現役引退となったが、通算169勝のうち、29勝を西武で挙げた。広島の公園で遊んでいた元エースが、所沢で復活したのだ。

「西武ではいちばん充実して、いちばん楽しい時代を過ごしました。監督の広岡(達朗)さんが早稲田の先輩ということもあって、野球は厳しかったけど相談できたし、やりやすかった。

『お前がしっかりやってくれないと困るぞ』って怒られたときもあるんだけど、これは最初、プロだから個人で勝手にやるよ、という気持ちだったからだと思います。でも、チームということを考えたら、オレがやるんだからお前もやれよ、というふうに変わりましたね」

 西武時代を振り返る取材当時の高橋直樹さん。手がデカい 西武時代を振り返る取材当時の高橋直樹さん。手がデカい

 キャンプで真剣に走らない若い投手をつかまえて「競走しようぜ」とけしかけ、いざ走ったら自分よりずっと速い、ということがあった。「速いんだったらずっと毎日走れ」と言ったら、「それはできません」と返された。この若い投手の姿勢はともかく、こうしたやりとりは日本ハム時代には考えられないことだったという。

「僕がいた頃の日本ハムは和気あいあいとやってました。そのなかで自分がえらくなって、責任が重くなって、楽しむ暇はなかったけど、優勝してないから、若いヤツに『ちゃんとやれよ』とか言うこともできない。何をやってもうまくいかないんですね。その点、優勝経験があるチームは常にピリッとしたものがある。西武で勝って初めてわかりました。日本ハムも江夏が入って優勝して、意識が変わったと思います」

 勝って初めてわかる、とはいえ、根本が目をつけた〈ひたむきで粘り強いプロ魂〉は、西武に移籍する前から培われていたものなのだ。それこそ、高橋さんの野球人生の根幹だろう。

「こいつをやっつけなかったら負ける、っていう目標があったということですよ。僕にとってそれは三輪田で、あいつが目標だったから東映、日拓、日本ハムで勝てたし、プロで長くできた。こうして昔を思い出すと、苦しいときばっかりが頭に残ってて泣きそうになりますけど、僕の野球人生、最高の目標に出会う運はあったんだなって思います」

(2018年8月24日・取材)

プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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