梨田昌孝が目指した監督像は、西本幸雄と仰木彬の「いい部分を融合させた形」だった (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【西本と仰木、両監督のタイプの違い】

――梨田さんは近鉄、日本ハム、楽天の監督を歴任されましたが、西本さんの教えが指導者になって生かされましたか?

梨田 すごく尊敬はしていますけど......やはり当時の厳しい指導法は今の野球では通用しませんよね。でも、西本さんの「この選手を一人前にしてやろう」という妥協なき愛情というか、そういうハートを持って選手を見るようにしていました。

 あと、私は現役時代の最後に仰木彬さん(1988~1992年に近鉄の監督を務める)の指導も経験したんですが、その教えも生かしたいと思っていました。おふたりのいい部分を融合させた形を出そうと。

――西本監督と仰木監督、それぞれの監督としての特徴は?

梨田 西本さんは「ひたすら練習」で、強制的な部分がありました。それと、当時は近鉄の試合は記事にならなかったのですが、阪神など人気球団の試合がない日には「今日勝ったら、新聞でちょっと大きく扱われるぞ」と選手たちに発破をかけることもありましたね。

 仰木さんは、勝率5割くらいをキープしていれば「優勝できるチャンスがある」と考えるタイプでした。それと「サイン間違い」は絶対に許さなかったですね。西本さんはサインを間違えてもそこまで怒らなかったのですが、仰木さんはサイン間違いとか、状況判断ができない選手はスタメンから外していきました。

――梨田さん自身が監督をされていた時は、サインに関してどうしていましたか?

梨田 印象に残っているのは、日本ハムの監督だった時のことですね。まだ若手でブレイク前の糸井嘉男がサインを覚えられなくて(笑)。でも、彼のポテンシャル、身体能力はすごいので、「なんとかこの選手を使いたい」って考えていたんです。

コーチたちの間では「糸井はサインがわからないから外そう」という話もありましたが、コーチ会議で「(使うか使わないか)監督が決めてください」と言われた時に、「よし、わかった。糸井を明日から"外国人選手登録"にする」と冗談で答えたんです。

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