梨田昌孝が目指した監督像は、西本幸雄と仰木彬の「いい部分を融合させた形」だった (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――それはどういうことですか?

梨田 外国人選手にサインを出す場合、走る時は指を1本出したり、グーやパーにしたりという感じなので、シンプルで楽なんです。だから、糸井にも同じようにしてやろうと。そうすればサインで悩むことがないので。それから6年連続で3割を打ちましたけど、不安を取り除いたことがいい影響を与えたんだろうなと思います。

 それからしばらく経って、糸井はオリックス、阪神に移籍してからも頑張っていましたね。やっぱり監督は選手のいい部分を見抜いて、その気にさせて伸ばしていってやらないといけません。「ここはダメ、ここもダメ」では選手は伸びない。西本さんが近鉄の監督になられた時、私に対する第一声は「お前ら(球団事務所に呼ばれた梨田と羽田の2人)がおるから来たんや」でしたが、それで気が引き締まりましたし、私をその気にさせる言葉だったと思います。

――ちなみに西本さんは、グラウンド外ではどんな方でしたか?

梨田 グラウンドの内と外では違いましたね。ある時には麻雀のメンバーが足りなかったみたいで、「ナシはできるだろ? 人がおらんから来い」と言われて参加したことがありますが、その最中の笑顔がけっこうかわいいんです(笑)。「かわいい」っていうのは失礼ですけど、やっぱり笑顔っていいなと思いましてね。グラウンドの中では決して見せない表情でしたから。

――グラウンドの中ではポーカーフェイス?

梨田 そうですね。ほとんど表情を崩さない方でした。ただ、監督もタイプはいろいろですから。喜怒哀楽を出さない監督もいれば、中畑清みたいに出しすぎる監督もいたりね(笑)。

――あらためて、梨田さんの野球人生にとって、西本監督との出会いは大きかった?

梨田 間違いないです。私は高校3年(浜田高/島根県)の時に甲子園の夏の大会(1971年)に出て、1回戦で初出場の池田高校と対戦したのですが、その時に見た池田の蔦文也監督の印象が強烈で。不動明王のようなドーンとした眼光というか、視線を感じたんです。「うわぁ、この方はいずれ、すごい監督になるんだろうな」と思いましたが、"名将"と呼ばれるまでになりました。

 西本さんが近鉄の監督に就任され、最初にお会いした時の雰囲気もそれによく似ていたんです。迫力のある佇まいで、第一声から身を引き締めてもらいましたし、選手だけでなく監督としても私を引き上げてくれた。本当に西本さんに出会えたことに感謝しています。

(連載12:○○>>)

【プロフィール】
梨田昌孝(なしだ・まさたか)

1953年、島根県生まれ。1972年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。強肩捕手として活躍し、独特の「こんにゃく打法」で人気を博す。現役時代はリーグ優勝2 回を経験し、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回を受賞した。1988年に現役引退。2000年から2004年まで近鉄の最後の監督として指揮を執り、2001年にはチームをリーグ優勝へと導いた。2008年から2011年は北海道日本ハムファイターズの監督を務め、2009年にリーグ優勝を果たす。2013年にはWBC 日本代表野手総合コーチを務め、2016年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。2017年シーズンはクライマックスシリーズに進出している。3球団での監督通算成績は805勝776敗。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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