命の危険を感じていた田中正義の剛球 紐が切れかけたミットを見て感じた「本当にやばい投手」の条件
流しのブルペンキャッチャー回顧録
第10回 田中正義(日本ハム)
創価大時代の田中正義 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【忘れられない3つの場面】
田中正義といえば、3つの場面を思い出す。
1つ目は、創価高3年夏の西東京大会で見た田中だ。当時は肩を痛めており、「4番・センター」として出場していた。それでも、185センチ80キロのスラリとした体格はクリーム色のユニフォームによく映えた。立ち姿だけでも"大物感"が漂っていた。
試合前のシートノック。センターからストライドの大きな走りで打球を追い、動物的な柔軟性とスピードを感じさせる動きで捕球すると、サード、ホームへの返球が一直線に伸びていく。あれで、本当に肩を痛めているのか......。先発マウンドに立てない鬱憤を、渾身のスローイングで晴らしているかのようだった。
バッティングにも驚かされた。実践学園との4回戦。低めの速球を引っ張り込んだ打球は、雄大な放物線を描いて、神宮球場のレフト席上段近くまで届いた。力任せに振り回した打ち方じゃない。むしろ、バットの重みをまったく感じさせないスマートなスイングで、140メートルほど飛ばしてみせたのだ。
2つ目は創価大2年時の全日本大学選手権。東京ドームで行なわれた佛教大との1回戦だ。先発で立ち上がりから150キロ台の快速球に落差の大きなカーブ、スライダー、フォークを交えて、スコアボードにゼロの山を築いていく。終わってみれば4安打9奪三振、無四球完封。長身から投げ下ろすオーバーハンドなのに、高めに浮く球はほとんど見られない。制球力の高さが際立っていた。
そして3つ目は、つづく2回戦。5回途中から2番手で登板した亜細亜大戦だ。この試合は1失点したものの、2安打8奪三振、またも無四球で試合を締めた。しぶとい亜細亜大打線ですら芯で捉えられない。ホップ成分たっぷりの剛速球が、うなりを上げながらミットに突き刺さった。
「とんでもない投手が出てきたぞ......。いずれ、ミットを構える日が来るんだろうな」と、そんな予感に恐怖していたものだ。
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著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。




























