松永浩美は高校1年の清原和博の内野フライを見て「間違いなくプロにくる」 西武と巨人時代のバッティングの違いも語った (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【巨人で肉体改造をして変わったバッティング】

――松永さんは盗塁王(1985年)になられていますが、打撃タイトルで無冠だったのは意外です。首位打者争いの常連でしたし、2000安打までは100本を切っていましたから(通算1904安打)。

松永 キヨとはバッターのタイプが違いましたが、私も打撃に冠しては"無冠の帝王"です(笑)。無冠の割には、11打席連続四球(1988年/NPB記録)や、3試合連続の先頭打者本塁打(1993年/NPB記録)といった記録は残しましたけどね。

――ちなみに、巨人時代の清原さんは肉体改造をして体が大きくなりましたが、その際のバッティングはどう見ていましたか?

松永 "遠心力"で打てているのがいいバッティングなのですが、筋トレをして肉体改造をしたあとは"重力"で打つようになりましたね。体の中心を軸にして回転させるのが遠心力で、上からたたくのが重力。キヨも若い頃は遠心力で打っていましたが、たたくような打ち方に変わったのは体が大きくなった影響だと思います。

 腕っぷしが強くなると変にバットが軽く感じますし、どうしても遠心力ではなく、バットを上からポンッと落とすような感じ(重力)で打ちたくなるんでしょう。そうならない程度の筋トレはいいと思いますが、キヨが肉体改造をするという話を耳にした時も、そこが懸念点でした。

 あの体になったら、なかなか遠心力は使えません。タイミングを取る時、軸足に体重が残らなくなっていましたからね。ずっと遠心力で打ってほしかったな、と思いますね。

(後編:若き清原和博が密かに明かした「苦手だったこと」を初公開 「これをうちの投手陣に言ったら......」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

詳細はこちら>>

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る