門田博光が語っていた死生観。晩年15年間100回以上顔を合わせ、最後の通話者でもあったライターが明かす、レジェンドとの会話 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 近年は、よく生死についての話になった。「俺ももうすぐや」が口癖であったが、2日に一度の透析が日課になって8年あまり。体調は安定傾向にあった。透析以前は歩いていると、突然「ぶっ倒れそうや」と言ってうずくまることもあったが、ここ数年はそうした姿を見かけることはなかった。ただ、時折体調を崩すと一気に不安が増し、 "最期"の話題になることがあった。「どんな最期がいいですか?」。そんな問いに、門田は決まってこう返してきた。

「誰にも知られんとスッと逝きたい。それだけや。寝とってそのまま逝けたら最高やないか」

 昨年11月、村田兆治氏が亡くなった直後に訪ねた時も、「兆治は苦しまんと逝けたんかいな」と、最期を気にかけていた。「おそらく一酸化炭素中毒で意識を失い......」と伝えると、「そうか、なら苦しまんと逝けたんかな」とやさしい口調で語った。

 2020年に野村克也氏が亡くなった時もそうだった。一報が流れた翌日に訪ね、あらためて思い出話を聞いた帰り道、並んで歩いていると「ところでおっさんはどこで逝ったんや?」と呟くように聞いてきた。報道に出ていたとおり「風呂場で湯船に浸かっている時に......」と伝えると、「そうか、気持ちよう逝けたんか」と安堵の表情を浮かべていた。

 最後の取材は今年の1月12日。ある出版社からの依頼で、村田兆治氏との思い出話を聞くことだった。本題の話を終えると、門田は注文したカキフライ定食を私よりも早く食べ終えた。顔色はよく、言葉も強い。取材は3時間半を超えた。

 途中から話は大きく脱線し、なにかの拍子で「この先、何かしたいことはありますか?」と尋ねた。すると、少し考えた門田が「またアホみたいなことを言うてもええか」と断りを入れ、「朝から100万円握って競馬したいんや」と言って、楽しそうに笑った。

 その後「久しぶりにようしゃべったわ」と言って、別れ際にいつものひと声をかけた。

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