関根潤三の指示でスイッチヒッターに挑戦した高木豊。最初は乗り気も、ある打席で「右打ちは必要ない」と考え直した (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

 新たに挑戦する打席は、プロの最高峰のピッチャーを素人が打つようなもの。目は慣れてくるかもしれませんが、簡単には打てませんよ。アマチュアの時から挑戦して練習しているのであれば、成功する可能性は高くなると思いますけどね。だからアマチュアの選手が相談してきたら、「大いにやりなさい」と言います。プロのように結果に対しての報酬があるわけではないですし、遊び感覚で取り組んでもいいと思います。

――高木さんがスイッチヒッターをやめたことに対して、加藤さんや屋鋪さんから何か言われましたか?

高木 加藤さんには当初から、「そんなことやんなくていいんじゃないの?」と言われていました(笑)。屋鋪からも「豊さんは左で打てるんだから、そんな無駄なことをする必要はないですよ」って。関根監督は、僕がよりレベルの高い選手になれるようにという思いで勧めてくれたと思いますが、自分にとってスイッチヒッターは難しかったですね。

【プロフィール】
高木豊(たかぎ・ゆたか)

1958年10月22日、山口県生まれ。1980年のドラフト3位で中央大学から横浜大洋ホエールズ(現・ 横浜DeNAベイスターズ)に入団。二塁手のスタメンを勝ち取り、加藤博一、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」として活躍。ベストナイン3回、盗塁王1回など、数々のタイトルを受賞した。通算打率.297、1716安打、321盗塁といった記録を残して1994年に現役を引退。2004年にはアテネ五輪に臨む日本代表の守備・走塁コーチ、DeNAのヘッドコーチを2012年から2年務めるなど指導者としても活躍。そのほか、野球解説やタレントなど幅広く活動し、2018年に解説したYouTubeチャンネルも人気を博している。

元プロ野球選手のYouTuberのパイオニア

高木豊のYouTubeチャンネルはこちら>>

【著者プロフィール】
浜田哲男(はまだ・てつお)

千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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