高木豊が明かすスーパーカートリオ秘話。「帰塁は罰金」で走りまくって生まれた、加藤博一や屋鋪要との絆

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

高木豊が語るスーパーカートリオとスイッチヒッター転向秘話 前編

 1985年、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の指揮官に就任した近藤貞雄監督の発案により、1番から3番まで俊足の選手を並べた「スーパーカートリオ」が結成。同年に1番・高木豊が42盗塁、2番・加藤博一が48盗塁、3番・屋鋪要が58盗塁と走りまくり、相手バッテリーの脅威になった。

 そんなスーパーカートリオの一員として、14年間の現役生活で通算321盗塁をマーク。現在は野球解説者やYouTubeでも活動する高木豊氏が、当時の近藤監督とのやりとり、3人で切磋琢磨したことや絆などを語った。

大洋のスーパーカートリオ、(左から)高木豊、加藤博一、屋鋪要大洋のスーパーカートリオ、(左から)高木豊、加藤博一、屋鋪要この記事に関連する写真を見る***

――1985年にスーパーカートリオをチームの売りとして打ち出した近藤監督。3人にはどんな指示があったんですか?

高木豊(以下:高木)「どんな場面でもいいし、いくら刺されてもいいから、とにかく走れ」と言われましたね。

――戸惑いはありませんでしたか?

高木 僕はその前年に盗塁王になっています(1984年に56盗塁で盗塁王)。だから走ることに関しては、このチームにいる限り自分の使命だと思っていましたし、「言われなくても走りますよ」という感じでした。

――3人で話をする機会も多かったんですか?

高木 そうですね。たとえば、「あの投手は、あの部分がこうなったら走りやすい」とか、「この部分がこうなったら牽制がないよ」といった投手の傾向などですね。癖とかも共有していましたし、教えあっていました。

――投手の癖を見つけるのがうまかったのは?

高木 うまかったのは加藤さんでした。「あそこを見ててみろ。癖が出るから」と言って、僕らが気づかなかった投手の癖などを教えてくれたので助かりました。あと、僕と屋鋪は生え抜きでしたけど、加藤さんは阪神からトレードで移籍してきたということもあってか、「このチームは、おまえたちが引っ張っていかなきゃいけないんだから」と、少し遠慮がちに僕らを立ててくれました。

 先輩らしい言葉をかけてくれましたし、頼りになる存在でしたね。僕が打席に立つ姿を見て、相手の癖を見抜くように僕の調子がいい時と悪い時を覚えていてくれて、「悪くなると、こういうふうになるよ」と教えてくれたこともあります。「今、調子いいだろ?」と言われて「なんでわかるんですか?」と聞いた時には、「ずっと同じ位置から見ているけど、いい時はこの位置にバットがあって、悪い時はこの部分が見えないんだよ」と教えてくれることもありました。

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