高木豊が明かすスーパーカートリオ秘話。「帰塁は罰金」で走りまくって生まれた、加藤博一や屋鋪要との絆 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

――3人の盗塁に関しての考え方や特徴はどうでしたか?

高木 全然違いました。僕は「いいスタートを切る」ということが大前提で、その時に上体が浮かないように注意していました。僕は体が軽いので、上体が浮くと推進力が生まれないんです。あと、スピードを落とさないスライディングには自信がありました。

 加藤さんはある程度の慎重さがあったのに対して、屋鋪は強引に走っていましたね。「えっ、このスタートで行くの?」みたいな(笑)。でも、それでセーフになりますし、単純な足の速さでは屋鋪が頭ひとつ抜けてました。これまでたくさんのプロ野球選手を見てきましたが、今だに屋鋪が一番速いんじゃないかと思います。ただ、最短距離を走るためのベースランニングや、スライディングもあまりうまくありませんでしたが。

――現役引退後の関係は?

高木 加藤さんとは同じ番組で解説をやっていましたから、会う機会もありましたし、すごくかわいがってくれました。屋鋪は大洋から巨人に行って、巨人ではコーチもやっていましたね。その頃は会う機会はありましたが、コーチをやめてからは会う機会がなくなりました。取材や何かのイベントで一緒になることがあると、「元気か?」なんて声をかけていましたけどね。

――加藤さんとは、現役引退後も交流が多かったんですね。

高木 現役の時も自主トレを一緒にやったこともありますし、いつも近くにいてくれました。一緒に飲みに行ったことも何回かありますけど、それは現役を引退してからのほうが多かったですね。

――加藤さんとの印象的なやりとりはありますか?

高木 加藤さんがガンを患って、それが転移してしまって最後は足にきていたんです。お見舞いに行ったとき、「(現役時代に)稼いでいた足にきちゃったな......」と言っていたことが忘れられません。加藤さんはとても繊細な人で、ちょっとしたことが気になってしまう人だった。本当にお世話になりましたし、いろいろな面で頼りにしていました。

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