関根潤三の指示でスイッチヒッターに挑戦した高木豊。最初は乗り気も、ある打席で「右打ちは必要ない」と考え直した (2ページ目)
――右打ちがしっくりいかなかったんですか?
高木 中途半端なのが嫌でしたね。手応えは徐々に掴んでいきましたし、まんざらでもなかったんですけど、時間が無駄になるのがちょっと嫌でした。あと、僕は左打ちでも、アマチュアの時から左ピッチャーがそんなに苦手ではなかったですからね。
関根さんから提案された時は素直に受け入れましたけど、体への負担や練習量が増えることを考えると、「その分を左打ちの練習に充てたほうがいいんじゃないか」といったように考え方が少しずつ変わっていきました。
――シーズン中の試合で右打席に入った時はどうでしたか?
高木 右打席では5、6本しかヒットを打てませんでしたし、全然ダメでしたね。あと、チャンスで自分に打席が回ってきた時に、ワンポイントで左ピッチャーが出てきたことがあって。それで僕は右打席に入ろうとしたのですが、右打者の代打を送られたんですよ。「ここは大事なところでしょ」という場面で代えられるのであれば、右打ちは必要ないなと思いました。
違う見方をすれば、首脳陣は僕が右打席で打てるようになるまで待っていてくれたのかもしれません。でも、僕はそんなに時間がないと思っていたし、その件があって以来、左ピッチャーの時でも左打席に立とうと考えるようになりました。その後の阪神戦で9回裏・二死満塁のチャンスで僕に打席が回ってきた時は、相手のピッチャーは抑えを務めていた左の山本和行さんでしたが、左打席に入りましたよ。
――その時、関根監督は高木さんに代打を送ろうとしていましたか?
高木 ベンチから出かかって、代えようとしていましたね。相手は左ピッチャーですし、当時はヘルメットに耳当てがなかったこともあって、関根監督は僕が右打席に立つものだと思っていたようです。それが左打席に入ったもんだから、「こいつ、何か考えがあるんだろうな」と察して代打を出すのをやめたそうです。
ただ、左打席に立ったはいいけど、左ピッチャーのボールを左打席で打つ練習はしばらくやっていなかったので、「セーフティーバントでもやるか」と閃きました。二死だから相手も警戒していないだろうと三遊間に転がしたら決まって、サヨナラで勝ったんです。それをきっかけに、右で打つのはやめました。左でどうしても打てないんだったら右にしがみつきましたけど、そうではなかったですから。
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