松永浩美が学んだ、阪急の黄金時代を築いた上田利治の野球論。負けん気は強いが、選手やコーチに対しては「忍耐」の監督だった (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――ファンがあってのプロ野球、という意識が強い方だったんですね。

松永 そういう意味での精神論は必要だと思うんです。最近はケガや故障で離脱する選手が多すぎる。上田さんは、選手がケガをしても「大丈夫か?」とは聞きませんでした。気づいていたとしても知らん顔をしていて、「ご苦労さま」と声をかけてくれた。プレーできるかどうかを、しっかり見極めろということだったんでしょう。

 選手を殴ったりといったことは全然なかったですし、コーチの領域にまで踏み込んでいって「こうやって指導をした方がいいんじゃないか?」と要求したこともなかった。選手からすると、「コーチから教わっているけど、監督は違うことを言うんじゃないか」という不安が生まれてしまったらやりにくいですから。技術面はコーチに任せて、コミュニケーションの部分でチームを支えていた。そういった役割分担がしっかりしていたので、当時は私もプレーがしやすかったですね。

(連載6:「ヒットを打たなくていい」。元日本ハム・森本稀哲の野球人生をヒルマン監督の言葉が変えた>>)

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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