「ヒットを打たなくていい」。元日本ハム・森本稀哲の野球人生をヒルマン監督の言葉が変えた
森本稀哲が語るトレイ・ヒルマン 前編
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指導者との出会いが、アスリートの競技人生を大きく変える。日本ハムの主力として2006年の日本一と3度のリーグ優勝に貢献した森本稀哲氏は、トレイ・ヒルマン監督(現ロサンゼルス・エンゼルスの選手育成コーチ)との出会いが「野球人生のターニングポイントになった」という。
球団の北海道移転元年(2004年)の指揮官でもあるヒルマン監督は、就任4年目の2006年にチームを25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一へ導き、2007年にはリーグ連覇を達成。日本ハムのチーム力を引き上げ、北海道にチームを根づかせた功労者だ。そんなヒルマン監督とのエピソードを、当時の主力選手である森本氏に聞いた。
ヒルマン監督(左)のもと、日本ハムの主力として活躍した森本稀哲この記事に関連する写真を見る***
――ヒルマン監督と初めて会った時の印象はいかがでしたか?
森本稀哲(以下:森本) 最初に会ったのは、ヒルマン監督が日本ハムの監督に就任する前でした。日本ハムとニューヨーク・ヤンキースが業務提携をしていた関係で、2000年にヤンキース傘下のマイナーの秋季キャンプに参加したのですが、そこで指揮を執っていたのがヒルマン監督だったんです。
その後、日本ハムの監督に就任して秋季キャンプ(2002年)で顔を合わせた時に僕のことを覚えてくれていて、「体が大きくなったな」と声をかけてくれました。球団からは「足も速いし、いい選手に成長している」と聞いていたようで、すごく高い評価をしてくれていましたね。
――ヒルマン監督は、選手たちと積極的にコミュニケーションをとるタイプですか?
森本 そうですね。言葉の壁はありましたが、通訳の岩本賢一さんを介して積極的にコミュニケーションをとっていましたし、ポジティブな言葉を多くかけてくれました。選手たちに歩み寄ろうと試行錯誤していたと思います。
日本の文化や野球の練習方法に違和感を抱くこともあったと思いますが、理解しようと前向きに努力していることが伝わってきましたね。まずは日本のこと、チームのことを知り、その上でチームを変えていこうという熱意を感じました。
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