元ヤクルト鎌田祐哉が不動産業で積み上げてきた信頼と実績。1年後輩の石川雅規の活躍には「刺激をもらってます」 (2ページ目)
最多勝のタイトルを獲るも解雇
2012年、統一ライオンズに入団。当時、統一で投手コーチを務めていたのが紀藤真琴氏(元広島・中日・楽天)だった。その紀藤コーチに「せっかく日本から来たんだし、長くやってほしいから、二軍スタートにする」と言われたという。
その頃、台湾のプロ野球では、外国人選手が二軍落ちするとそのまま解雇されるパターンがほとんどだった。
紀藤コーチの「二軍からスタートして、まずは台湾の野球に慣れてほしい。それから一軍に上がって結果を出せば、長くやれるから」という提案に「なるほど」と思った鎌田だったが、このプランはあっけなく崩れる。他の外国人投手たちがオープン戦で次々に打たれて解雇。開幕前に一軍からお呼びが掛かったのだ。
オープン戦で結果を出し、そのまま開幕一軍スタート。先発ローテーションに入り、いきなり開幕11連勝の快進撃を見せた(中継ぎの1勝を含む)。
「その頃は、休みの日に散歩に出かけると街で声を掛けられるようになりましたね。でも中国語でバーッと言われるんで、何を言ってるのかわからなかったですけど(笑)」
最終的に16勝を挙げ、1年目にして最多勝のタイトルを獲得した。当然、翌年もプレーするつもりだったが、オフに球団から予想外の通告を受ける。「来年は契約しない」「なぜですか?」「アメリカから外国人投手を獲るので」。
「そのあと、年が明けてから『また契約しないか?』というオファーが届いたんですけど、また"2カ月契約"だったんです。すでに心が折れていてトレーニングもしていませんでした。家族もいるんで、もう現役はいいかな、って」
再契約はならなかったが、統一球団は新たな道を選んだ鎌田のために、外国人選手では異例の「引退式」を行なってくれた。「その気遣いが嬉しかった」という鎌田は、それを花道に、第二の人生へと踏み出した。
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