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斎藤佑樹が金城長靖に伝えたかったこと。「あの夏の甲子園」「アメリカ遠征」「沖縄の高校野球熱」...仲良し同級生対談 (3ページ目)

  • 市川光治●文 text by Ichikawa Mitsuharu
  • photo by Hosono Shinji

金城 残りの夏休みは少ないけど、「遊べるぞ〜」みたいな(笑)。

斎藤 面白いね。僕ら早稲田実業って、そのままみんな大学に行くから一緒なわけ。だから、気持ちは真逆だよね。これからもずっと一緒にいる存在だろうから、別に「寂しい」はないし。それぞれ大学に行って、どれだけ活躍できるかな、みたいなことしか考えてなかったから。

金城 まったく逆だ。

ジャパンの思い出

斎藤 話を戻すけど(笑)、甲子園が終わったあと、ジャパンでアメリカに行ったじゃない。あの時って、何が一番に残ってる?

金城 試合というより、甲子園終わって1〜2週間ぐらいだっけ、空いたの?

斎藤 うん、そのくらい。

金城 決勝戦で再試合も投げてるのに、田中と斎藤はすぐブルペン入って......。衝撃的だったんだよ、あの時のふたり。たしかピッチャー、僕を含めて6人いて。

斎藤 駒谷(謙/福知山成美)、榎下、乾。

金城 そう。取材の人たちと一緒に見てたんだけど、「え、最近まで投げてたじゃん? 大丈夫」って。で、ピッチング見たら、ボールの質もいいし、あれはホント衝撃的だった。距離が近く感じたというか......これ打てねえよって(笑)。

斎藤 大嶺(祐太/八重山商工で金城と同じ学年のチームメイト)のボールだって、すごかったじゃん。招待試合で沖縄に行った時に打席に立ったけど、インコース低めに投げられた真っすぐとか東京で対戦したピッチャーよりもすごいと思ったし。彼みたいなピッチャーがいるチームに、さらに長靖みたいなレベルの選手もいて、(八重山商工)すごいなって。うらやましいなと思ったけどね。結局、僕らの代(の早実)は、僕だけプロに行けたけど、みんな大学止まりだった。船橋(悠)は途中でやめちゃったし、社会人まで野球をやったのは後藤(貴司)くらいだから。

金城 そうだね。でも、僕は祐太のことを一緒に頑張っていこうっていうライバルと思ったことがあって。祐太がロッテにドラフト指名されてプロになる時も、「ああ、よかった。おめでとう」という気持ちと同時に「じゃあ、僕はいったん社会人に行くからプロで待っててくれよ」って感じだった......ごめん、ジャパンのアメリカの話だったよね(笑)。

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