もし人生戻れるなら...斎藤佑樹「プロ2年目、肩を壊した時」。金城長靖「プロ志望届を出すか出さないか...」

  • 市川光治●文 text by Ichikawa Mitsuharu
  • photo by Saito Yuki

斎藤佑樹×金城長靖 スポルティーバ対談(後編)

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プロ志望届を出さなかったワケ

斎藤 長靖は高校を卒業する前のドラフトでプロ志望届を出さなかったでしょ。ずっと聞きたかったんだけど、あれはなぜだったの?

金城 もともと島育ちっていうのもあって、そこまでプロ野球選手を目指そうという気持ちがなかったのよ。島の仲間と子どもの頃から野球をやってきて、高校もその延長みたいな感覚。「どうせなら甲子園に出たいよな」くらいの感じ。そうしたら、あれよあれよと甲子園に出れて、ホームランも3本打てて......まさか自分が高校ジャパンに選ばれるなんて思ってなかったからね。

斎藤 じゃあ小さい頃は、甲子園がマックスの夢だったということ?

金城 マックスだね。ぼんやりとプロ野球というのはあったんだけど、そこまで「なりたい」っていうのはなかったね。

斎藤 でも、大嶺祐太がプロ行った(ドラフト1位でロッテに入団)じゃない。つられて「俺も行こうかな」みたいな気持ちにはならなかったの?

金城 あいつとは小学校から一緒だけど、プロを目指していたことは知ってたからね。でも僕はそこまで思わなかった。

斎藤 そうなんだ。

金城 なりたいと思ったのは、夏の甲子園が終わったくらいに、「もしかしたら行けるんじゃね?」なんて思った時かな。「目指してみようかな」という感覚でいたんだよね。でもジャパンにいたすごいレベルの人たちを目の当たりにして、「いや、待てよ」って。ちょっと(届けを)出すのはヤベえなと思って、引っ込めた。それでいずれプロを目指すんだったら社会人のほうがいいのかなってなって、沖縄電力に入ったんだよ。

斎藤 なるほどね。たとえば、沖縄じゃなくて県外とかは考えなかったの?

金城 それは考えられなかった。いま思えば縮こまっていたのかもしれないね。

斎藤 縮こまっていた?

金城 もともと自分、石垣島の出身だから、離島から沖縄本島へ出るだけでも多少の覚悟みたいなものが必要なんだよ。育ち、環境も違ってたしね。斎藤も地方から早稲田実業に行ったんでしょ? そこはどうなの?

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