甲子園優勝投手から打者に転向した17人のその後<前編>。王貞治やゴルフで大成功した「ジャンボ」など

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kyodo News

「甲子園優勝投手」から打者に転向した17人@前編

「期待の大器」が覚醒への兆しを見せ始めている。

 開幕4カード目となるヤクルトとの3連戦、中日の石川昂弥はプロ初本塁打を決勝アーチで描くなど2ホーマーの大活躍。さらに4月14日からの阪神3連戦では12打数6安打を記録し、それまで1割台だった打率を.246まで上昇させている。

 プロ野球関係者の多くが潜在能力に注目し、「将来の侍ジャパンの四番」と期待する3年目の高卒ドラ1。彼がここからどのような成長曲線を描いていくかは、中日ファンならずとも楽しみなところだ。

ゴルフ界のレジェンド尾崎将司のプロ野球選手時代ゴルフ界のレジェンド尾崎将司のプロ野球選手時代この記事に関連する写真を見る 石川と言えば、東邦高3年時の2019年センバツ甲子園を制した"エース"。習志野高との決勝戦で投げては3安打完封だったが、それ以上に強烈なインパクトを残したのが、初回のバックスクリーン脇への先制2ランと、5回の右中間へのダメ押し2ランだった。

 夏の甲子園への出場は逃したものの、秋には"打者"としてドラフト会議に登場。高校・大学・社会人通じてナンバー1打者の高評価を受けて、中日、ソフトバンク、オリックスから重複指名された。

 石川のように甲子園の優勝投手が打者としてプロの世界に挑んだケースは、戦後から数えて17選手いる。

 そのひとり目は、1955年の夏の甲子園で四日市高を優勝に導いたサウスポーの高橋正勝だ。愛知県予選は49イニングで55奪三振、甲子園でも4試合で3失点のピッチングが評価されて、巨人が戦後初めて高校野球の優勝校から獲得した選手となった。

 しかし、プロでは投手としては2年目に3試合の登板のみ。その後、打者に転向するも1960年に7試合で7打席に立っただけで、この年かぎりで現役を引退する。ただ、引退後は巨人の初代スコアラーとして1961年に発足した川上哲治監督体制を皮切りに、長嶋茂雄監督、藤田元司監督、王貞治監督などを縁の下から支えた。

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