2022.04.22

甲子園優勝投手から打者に転向した17人のその後<後編>。早実のアイドルを破った愛甲や金村、現役で開花しそうなのは…

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Jiji Photo

「甲子園優勝投手」から打者に転向した17人@後編

◆前編はこちら>>「華麗なる転向を遂げた世界の王、ゴルフで大成功したジャンボ」

 荒木大輔の登場で高校野球が国民行事へと加速していく1980年代初頭、夏の甲子園を制した3投手もプロでは打者として名を残している。

1980年夏の甲子園決勝で「背番号11の1年生」荒木大輔を擁する早稲田実業を下して優勝したのは、横浜高のエース愛甲猛だった。ドラフト1位で入団したロッテで4年目から打者に転向。確実性の高いバッティングで頭角を現し、1986年から主軸を担う存在となった。

 しかし、1995年に就任したボビー・バレンタイン監督のチーム構想から外れ、出場機会が激減。その年のオフにトレードで中日へと移籍する。新天地では星野仙一第二次政権1年目から2000年まで、代打などで勝負強さを発揮した。

端正な顔立ちで横浜高時代から大人気だった愛甲猛端正な顔立ちで横浜高時代から大人気だった愛甲猛 この記事に関連する写真を見る  1981年夏の甲子園は、報徳学園のエースで四番を担った金村義明の大会だった。3回戦では荒木大輔を擁する早稲田実業、準決勝で工藤公康の名古屋電気高(現・愛工大名電)を破ると、決勝でも京都商を2−0で下した。

 近鉄にドラフト1位で入団直後、内野手に転向。5年目にレギュラーを獲得すると、勝負強い打撃で猛牛打線に欠かせない存在となった。1995年から中日、1997年から1999年まで西武でプレーし、引退後は巧みな話術で野球解説のみならずバラエティ番組などでも活躍している。

 1974年に部員11人で挑んだ『さわやかイレブン』から8年後、3度目の甲子園挑戦で頂点に駆け上がった1982年夏の甲子園の池田高。故・蔦文也監督のもとで鍛え抜かれた『やまびこ打線』が猛威を奮い、徳島の公立高校ながら全国制覇を達成した時のエースが畠山準だ。

 高卒ドラフト1位で入団した南海では、投手として実働4年。55試合(31先発)6勝18敗・防御率4.74の記録を残し、1988年に打者に転向する。1991年に大洋(現・横浜DeNA)へ移籍すると、1993年、1994年はレギュラーで活躍して1999年に引退。通算本塁打は打者転向12シーズンで57本だが、その思いきりのいいスイングから放たれた弾道は驚異的だった。