元DeNAの医学部生、寺田光輝の突っ走る人生。好きな子を追って受験、就職内定も辞退、大学「8番手投手」からプロへ (5ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 山本 雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

 先生のあと押しもあり、当時はBCリーグに参入していた石川ミリオンスターズに入団することになるが、まわりの反応はあまり芳しいものではなかったのも事実だった。

「友達だけじゃなくて、野球部の同期や後輩含めて、めっちゃ馬鹿にされました。BCリーグもプロ野球扱いなので、プロ志望届を出さなきゃいけないんですけど、めちゃくちゃそれが恥ずかしくて。『よ! プロ!』とか『すごいねー! プロは!』みたいな感じで、すっげぇ馬鹿にされたんです。めちゃくちゃムカついた思い出ですけど、同時に『くそ、見とけよ!』とも思いましたね。

 それと、母はかなり驚いたようで、『やっと落ち着いたと思ったのに、やっと安心して過ごせると思ったのに、また野球やるの?』って言われて、『はい、やらせていただきます』と答えたら、『わかりました。もう好きにしてください』という感じでした。父もまさかと思ったようですが、『やるのはいいが、人様に迷惑をかけないように』と言われたのを覚えています」

【BCリーグで活躍、馬鹿にしていた後輩が「土下座」】

 プロに入っても、どうせ大した成績は残せないだろうとネガティブな空気に包まれるなか、2016年に寺田のプロ野球人生がスタートする。

「1年目の時、入って一番最初の試合で大学生相手にボコボコにされて、悔しすぎてむっちゃ悔し泣きしました。それで、もう一生点をとらせないって、絶対に全員見返すって、なんかもう鬼のように燃えたんです。

 それが3月くらいです。本当にそこでまたスイッチが入って、そのあとは8月中旬まで1点も自責点がなかった。何しても打たれない、点をとられないから楽しくなって。チームも勝てるし、期待してくれるし、みんなのその期待に応えられるし、チームの仲はいいし、すごく楽しかったです。本当に楽しかった」

 クローザーとして、最終的に1年目のシーズン全体で40試合に登板。3勝1敗19セーブ、防御率1.11と大活躍。その成績を見て、馬鹿にしていた筑波大学野球部の後輩からは、「本当にすみませんでした。今、土下座しながらLINEしています」といったメッセージを受け取り、見返すことにも成功した。

「僕は同時並行というか、同時進行ができないんです。目標とか目的が見えてくると、もうそれに向かって、突っ走っちゃう。だからか、文武両道はただの手段でしかなくて、勉強もスポーツも目標や目的のために勉強が必要なら勉強するし、目標や目的のために運動が必要なら運動する。完全に別物として切り替えてやってきましたね」

 こうしてBCリーグでもう1年プレーした寺田は、2017年のNPBドラフト会議で横浜DeNAベイスターズに6巡目で指名されることになる。

(後編につづく)

【profile】
寺田光輝 てらだ・こうき 
1992年、三重県生まれ。小学生から野球を始める。県立伊勢高校卒業後、2010年三重大学教育学部に進学するも中退。2012年には筑波大学体育専門学群入学し、野球部に所属。2016年にBCリーグ・石川ミリオンスターズに入団し、2017年NPBドラフト会議で横浜DeNAベイスターズに6位指名されて入団。2019年に引退し、2021年に東海大学医学部に入学した。
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須賀 和●協力 cooperation by Suga Yamato

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