プロ野球でクビから1年半で医学部合格。元DeNA寺田光輝の馬鹿にされてもめげない生き方

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 山本 雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

文武両道の裏側 第7回
寺田光輝(東海大医学部、元横浜DeNAベイスターズ) 後編
(学生時代を語った前編から読む>>)

筑波大学で8番手ピッチャーだったという寺田光輝。周囲に馬鹿にされながらもBCリーグにチャレンジし、1年目から驚きの活躍を見せ、一躍、NPB球団からも注目される選手となる。そして、2年間のBCリーグを経て、横浜DeNAベイスターズで日本のプロ野球の頂点を経験。引退後はついに東海大学医学部に進学することに。プロ野球を経験したからこそ現在は医師の道を踏み出せているという寺田ならではの文武両道に、後編では迫ってみたい。

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2018年に横浜DeNAベイスターズに入団した寺田光輝さん(写真=本人提供)2018年に横浜DeNAベイスターズに入団した寺田光輝さん(写真=本人提供)この記事に関連する写真を見る

【DeNA入団、レベルの高さに「無理だ」】

 BCリーグ1年目は周囲をうならせる大活躍をみせた寺田光輝。

「NPBのスカウトの方が実際に接触してきて、これは本当にNPBにいけるのかもしれないってウキウキしてたんです。某球団からはお食事に誘ってもらった時に、『ドラフト会議で指名します』って明言していただいて、『えっ、本当に?』っていう感じでした。それが1年目で、その球団とはご縁がなかったのですが、いよいよNPBが現実味を帯びてきてちらほら記事も出るようになって。ちょっと地元やまわりがざわつき始めたというのはありました」

 結局1年目はドラフト会議での指名はなく、BCリーグで2年目のシーズンを迎えることになる。この年は35試合に登板し、通算成績は0勝3敗10セーブ、防御率2.41という成績を収めた。

「BCリーグに入った時に、当たり前ですが筑波大よりも上のレベルのピッチャーがいたんです。そのピッチャーを見ながら、僕が普通に上からキレイな投げ方で投げても勝てないってことを、入って2、3日で痛感しました。それなら、変な投げ方をしようと思ったんです。具体的に言うと、サイドスローに変えたんですが、それがむちゃくちゃ生きて、三振が取れるようになったんです」

 フォームの変更が功を奏し、誰もが認めるBCリーグでの2年間の活躍。これが横浜DeNAベイスターズからの指名につながることになる。

「この時は別の球団からの指名があるかなと思っていたんですが、第6巡選択指名選手まで指名されずに進んでしまい、そうしたらDeNAから『寺田光輝』って言われて、『よっしゃー!』というよりも、『あれ? 本当に? 僕ですか?』っていう、疑心暗鬼が強かったです。間違いじゃありませんようにっていう感じでした(笑)」

 あれよあれよと、日本の野球の頂点であるNPBに入団が決まった寺田。当然、まわりの反応もさまざまだった。

「『お前がプロなれるんやったら、俺も野球しときゃよかった』って、よく言われました。『本当にそうだと思うよ』って、僕も返してましたね。僕だってラッキーなことでプロになれたんだから、みんなにも可能性ありますよねって。両親もたぶん、信じられないっていう思いのほうが強かったんじゃないですかね」

2017年ドラフト会議で指名を受けた寺田さん(左下)photo by Kyodo News2017年ドラフト会議で指名を受けた寺田さん(左下)photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

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