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プロ野球でクビから1年半で医学部合格。元DeNA寺田光輝の馬鹿にされてもめげない生き方 (3ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 山本 雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

【戦力外通告を受けた直後「医者を目指そう」】

 2019年のオフシーズンに横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受け、プロ野球選手としてやりきったと実感した寺田は、持ち前の切り替えの早さを発揮し、医師になることを決意する。

「医者を目指そうと思ったのは、クビになって2、3日後でしたね。そもそも医者か野球かの2択だったので、割とすぐ出てきました。自分で言うといやらしいですけど、たぶん勉強は中の上くらいはできているはずなので、そっちの才能はまだ燃やしきってないなと思って、しかもやりたいしできる環境もありましたので。

 誰に言われたのか覚えていないんですが、説教を食らったことがあるんです。持っているものを出しきらないのは、世間とか世の中に対して失礼ですよ、みたいな話でした。『医者になりたいんでしょ? できるのに、やらないのは失礼だよ』と」

 野球をやめて、医師を志すことについては、特に祖父母が喜んでくれたそうだ。

「じいちゃんとばあちゃんがめっちゃ喜んでくれて、ばあちゃんは『あんたは身体もちっちゃいし、ケガしやすいんやから、身体がぶっ壊れる前にクビになってよかった。勉強しろ、勉強しろ』と。両親も、ちょっとうれしそうな感じに見えましたね」

 そして、医学部に向けた勉強がスタートする。

「最初の頃はバイトをかけ持ちしていたので、1日5時間程度、勉強していたのですが、バイトを1個やめてからは1日平均7時間くらい。高校時代から生物が結構得意だったので、まず思い出す作業から入って、英語もそうでしたが、抜けているところがこれだけあるという自覚を持つところから始めました。

 数日、数カ月と勉強していくうちに、問題集も点数がとれるようになってきて、なんとか形になるかもって思えるようになってきたんです。たぶんやればいけそうかなっていう、変な根拠のない自信のようなものが、途中から湧いてきたような、そんな感じでした。

 途中までは国公立を狙ってたんですけど、東海大にはお金を工面できる制度がいっぱいあるってことを知ったので、自分に残っている(プロ野球の)契約金と奨学金とでどうにかできるだろう、と。親に頼るのはすごく嫌だったんで、東海大に切り替えました。しかも編入が有利だなと」

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