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元DeNAの医学部生、寺田光輝の突っ走る人生。好きな子を追って受験、就職内定も辞退、大学「8番手投手」からプロへ (3ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 山本 雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

【ターニングポイントは医学部受験の失敗】

 父親が医者。それも祖父の祖父から続く医者の家系であり、医者を目指すことがこの時の寺田の目標になった。

「三重大学を休学したのが(1年の)7月くらいだったんですけど、その時は気持ちを切り替えていたんで、医者になるのが一番の目標でした」

 4月に入学し、7月に休学。ここからはある意味では浪人生として、医学部を目指した。しかし、1年目は受験に失敗。2年目の受験がターニングポイントになった。

「抜け殻みたいになっていて、『勉強したくねー!』となってしまったんです。2浪してもう一度受験しようなんていう熱意が、まったくなくなってしまって。でも、お金くらい稼がないといけないと思ったので、フリーターをしながらぼやぼや人生のことを考えてたら、また野球がしたいなって思っちゃったんです。それで、もう三重大学に復学しようと思って、お金を貯めながら、野球のトレーニングをするという生活をしていました」

 しかし、進学先は、なんと筑波大学だった。

「伊勢高の野球部の後輩が筑波大学で野球をしていて、帰省してきた時にキャッチボールをしたんです。そうしたら、彼がすごくびっくりして、『先輩! むっちゃ球がはやなってるじゃないですか』『筑波来てくださいよ。一緒に野球やりましょう!』『今来たら絶対試合出られますんで! この球ならいけますよ』っていう感じで、そそのかされたんです。

 とりあえず、『あ、じゃあ、受けるだけ受けるわ』って。受かったらいくぐらいのテキトーな感じで約束をしたんですよ。その時は筑波大学って大学もよく知らなかったんですけど、受けてみたら受かったという流れでした」

【"寺田式"の勉強法で筑波大学合格】

 筑波大学では、医学部にあたる医学群ではなく体育専門学群への進学となるが、筑波大学も全国的に有名な国立大学。フリーターをしながら、野球のトレーニングをしていて入学できるような大学では決してないだろう。当然のように学力も必要となるが、寺田の勉強法はちょっと変わっていた。

「机に向かって勉強してたのに意識が飛んで気づいたらベッドで寝ていて朝だったとかいう経験をしたことはありませんか? そうならないように、僕は机に向かって座らないで、立ったまま勉強したりしてました。

 とにかく当時からやっていたのは、書くよりも読む。目で見る、口に出す、耳で聞くっていうこと。このほうが、大量の情報を覚える意味ではいいのかなっていうふうに思ってました。それは高校の時からずっとそうなんですけど、書くってことはほとんどしてないですね」

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