ヤクルト高津臣吾監督が真中満に打ち明ける「絶対大丈夫」の裏側。日本シリーズでは「2カ所だけ迷ったところはあった」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●構成 text by Hasegawa Shoichi
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

真中 結果的に続投させることを決めたわけですけど、その前日の初戦でマクガフが打たれた、清水(昇)の出来があまりよくなかった。これも決断に影響したんじゃないですか?

高津 そこも考えました。前日のこともあっただけに、たとえ、ローテーションの再編成を余儀なくされたとしても、ここは勝ちきるべきだと考えました。それが、7回、8回ぐらいでしたかね。

真中 なるほどね。僕らが見ていて、高橋奎二はゾーンに入っている気がしましたね。

高津 うん、何を投げてもストライクが入るようになっちゃったし(笑)。スピードも全然落ちないし、このまま流れを変えるべきではないと考えましたね。ただ、あの試合で9回表にオスナのタイムリーで2点目が入ったんですけど、1対0のままだったら、9回はスコットに代えていたと思いますね。

真中 そこまでシミュレーションしていたんですね。

高津 9回裏は吉田正尚から始まる打順だったので、そこまで奎二に任せて、4番の杉本(裕太郎)からはスコットに継投するつもりだったけど、追加点が入ったので、奎二を最後まで投げさせました。

真中 その結果が高橋奎二のプロ初完封。そして、これが日本シリーズの流れを大きくヤクルトに引き寄せることになりましたね。

(最終回につづく)

【プロフィール】 
高津臣吾 たかつ・しんご 
1968年、広島県生まれ。広島工高、亜細亜大を卒業後、1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。守護神として活躍し、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年、MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。その後、ヤクルト復帰や、韓国、台湾のプロ野球、独立リーグ・新潟アルビレックスBCを経て、2012年に現役引退。ヤクルトの一軍投手コーチや二軍監督を務めたのち、2020年から一軍監督に就任。2021年にはチームを日本一に導いた。

真中満 まなか・みつる 
1971年、栃木県生まれ。宇都宮学園、日本大を卒業後、1992年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2001年には打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。計4回の日本一を経験し、08年に現役引退。その後、ヤクルトの一軍チーフ打撃コーチなどを経て、監督に就任。15年にはチームをリーグ優勝に導いた。現在は、野球解説者として活躍している。

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