2021.07.12

大島康徳の飾らない素顔。「運命の糸に逆らわずに乗っかった」高校生は偉大で気さくな野球人となった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Snakei Visual

「今日のところは、これくらいで勘弁してもらってもよろしいでしょうか」

 毎回、1時間強の取材を終えると、満面の笑みで言われた。どこか、いたずらっぽい表情が入り交じる時もあった。超一流の数字を残した野球人のなかで、大島康徳さんほど笑顔が似合う方はいなかったのではないかと思う。

6月30日に大腸がんのため亡くなった大島康徳氏6月30日に大腸がんのため亡くなった大島康徳氏  大島さんは、大分・中津工高から1968年ドラフト3位で中日に入団した。1983年に本塁打王を獲得するなど強打者として活躍し、2度のリーグ優勝に貢献する。1988年からは日本ハムでプレーして1990年に通算2000本安打を達成。1994年に引退するまで26年間の現役生活を送り、実働24年で2204安打は歴代19位、1234打点は23位、382本塁打は22位──。

 普通、これだけの実績を積み上げた球界OBに取材する場合、筆者のようなライターは困難が少なくない。新聞記者の方なら、解説者として野球の現場にいるOBの方と面識があったり、何度も挨拶を交わしたりしていて、その存在に慣れている部分はあるだろう。だが、雑誌などで書くライターは単発取材となり、常に初対面になるし、慣れなどあるはずがない。

 初対面ゆえ、どんなに準備万端で臨んでも緊張する。筆者はこれまで100人近いOBの方にロングインタビューをしてきたが、今もそれは変わらない。まして大御所クラスになると強烈な個性が前面に出ていて、オーラがあり、眼光も鋭く、つい怖気づいてしまう。

 代表的な方といえば、金田正一さん(元国鉄ほか)、王貞治さん(元巨人)、江夏豊さん(元阪神ほか)......。金田さんにはいきなり「誰の紹介で来たんや?」と睨まれてしまい、緊張を通り越して言葉が出なくなってしまった。

 大島さんはそんな金田さんとは名球会でつながっていて、中日時代はONが中心の巨人と戦い、江夏さんとは何度も勝負していた。日本ハムの監督時代には審判の判定に抗議して退場処分となり、興奮状態から体調が急変して救急車で運ばれて入院。翌日は病院から東京ドームに直行したこともあった。それぐらい熱い方だから、きっと取材するのは大変だろうと思っていた。