大島康徳の飾らない素顔。「運命の糸に逆らわずに乗っかった」高校生は偉大で気さくな野球人となった (3ページ目)
潔さの原点と思える話を聞いたこともある。大島さんが野球を始めたのは高校に入学してからで、中学時代はバレーボールや相撲をやっていた。『大島康徳の打激論』(携帯版・野球小僧/白夜書房)ではこう記している。
<高校に入学してから野球を始めた僕にすれば、よくプロからの誘いがあったよな、です。今のように情報網が発達していない時代、甲子園出場もないから全国的にはまったくの無名。テストを受けてのドラフト3位指名だったとはいえ、スカウトの方もよくそんな僕を発掘してくれたなと思います。ただ、僕自身のなかに「指名されてうれしい」といった気持ちはなかったんですね。
自分としては大学に進んで野球を続けるのが第一希望で、それも特にどこの大学というのはなかった。超一流のところに行って二番手、三番手になるんだったら、二流のところに行って一番手になって目立ったほうがいい──。そのぐらいの考えでいましたから。
おそらく、担当スカウトの方と当時中日の二軍監督だった本多逸郎さんからの助言がなければ、僕のプロ入りはなかったでしょうね。その意味では、運命の糸に逆らわずに乗っかったようなところがあります。だから、入団が決まったあとも変な気負いやプレッシャーはなく、かなり楽な気持ちでプロの世界に飛び込んでいったわけです>
このプロ入りの経緯を踏まえると、守るものは何もなかったといえばいいのか、無欲だったのだと気づかされる。まさにそこが潔さにつながると思うのだが、それにしても高校から野球を始めた選手が超一流のプロ野球選手になって、監督まで務めたのだ。あらためて、相当の練習と勉強をした方なのだと感じるし、選手として26年間、監督として3年間の軌跡は"奇跡"でもあると思う。
連載が続いて5年ほど経った頃。初めて一緒に食事をする機会に恵まれた。JR中央線沿線にあるご自宅近くの料理店に編集者とともに招かれると、大島さんの奥様、ふたりの息子さん、さらには親しい友人の方々も同席していた。大島さんはお酒を飲みながら熱く語ることもあったが、終始、照れたような表情で過ごしていたのが今も記憶に残っている。
3 / 4