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「ロッテの野球をやってんじゃねえ」。
前田幸長の選手寿命を延ばした言葉 (5ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 2001年、中日が4年ぶりのBクラス転落となる5位に終わると、星野が辞任する。ドラゴンズの象徴のような男が去り、代わりに昇格したのが投手コーチの山田久志だった。組織のトップ人事は、下の者たちにも大きな影響を及ぼすものだ。それは会社員もプロ野球選手も同じである。

 どうしても合わない上司がいる場合、極論、会社員には転職という手もある。対して保留制度に縛られるプロ野球選手は自由に所属球団を選べないが、当時の前田にはFAという権利があった。

「監督ひとつで選手の起用も変わってきますからね。星野さんが辞められるというところで、最終的な決断を下しました」

 中日に残留することも考えたが、もうひとつの障害が生じた。プロ野球選手として極めて大事な、お金の問題だ。

 権利取得から2年後の2001年オフ、前田がFA宣言したのは"ビジネス"的な理由だった。

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