「ロッテの野球をやってんじゃねえ」。前田幸長の選手寿命を延ばした言葉 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

「たしかにロッテの野球だったんですよね。えいやって投げて、ガンって打たれる。若いときは勢いだけで勝ってきたけど、それが落ちて。ドラゴンズでいい感じに戻ってきたと思ったらケガをして、復帰した後に星野さんからドカーンと『ロッテの野球をやってんじゃねえぞ!』という言葉をいただきました。そこからですね。僕の進化、変化が始まったのは」

 ロッテ時代は技術的に未熟で、力勝負を挑むしかなかった。そのスタイルが徐々に通じなくなり、成績が急降下した。

「野球人生の寿命を延ばすためにトレードを希望しました。パ・リーグは僕のことを知っているので、セ・リーグのどこかで環境を変えるのが一番いいと思いました」

 "力と力"でぶつかり合うパ・リーグ から、変化球でうまくカウントをとる"技術"や"駆け引き"が求められるセ・リーグへ。前田の目論みどおり、移籍は投球スタイルを変えるきっかけになった。

「打者優位なカウントで、相手が真っすぐを待っているときに変化球でストライクをとれるようになれ。すべての球種でストライクをとれるようにならないとダメだ」

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 中日一筋で通算146勝を挙げた星野から、セ・リーグで生きるすべを伝授された。どうすれば、カーブ、カットボール、チェンジアップ、ナックルの精度を磨くことができるか。前田が取り組んだのは、キャッチボールの意識改革だった。

「昔は肩をつくるもの、腕の振りのスピードを上げるものという感じでやっていました。星野さんに言われてから、変化球をきちっとストライクゾーンに投げるには体をどう動かせばいいのか、フォームはこうか、足はこうかと考えるようになりましたね。ロッテの野球をやっていたら、終わっていたと思います。星野さんにぶん殴られますよ(笑)」

 中日入団1年目は7勝4敗と、まずまずの成績を残した。しかし、続く1997年は2勝13敗と低迷する。ナゴヤドームが完成したこの年、最下位に沈んだチームでもがき苦しんだ。

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