想定外だった巨人へのFA移籍。前田幸長に決断させた「監督」「お金」問題

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

【短期連載】FAは誰を幸せにするのか?(6)

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「人生タイミングとターニングポイント」----。

 日米通算20年間のプロ野球生活でそう考えるようになった前田幸長にとって、キャリア2度目の転機は2001年オフに訪れた。ロッテで7年、中日で4年を終えた2年前に取得したフリーエージェント(FA)の権利を行使したのだ。

2001年オフにFA権を行使して巨人に移籍した前田幸長(写真左)2001年オフにFA権を行使して巨人に移籍した前田幸長(写真左) ちょうどこの頃、中日は一時代の終焉を迎えた。前田が恩人と慕う星野仙一監督が2001年限りで退任し、代わって投手コーチの山田久志が昇格した。

「星野さんと山田さんはまるっきり"表と裏"みたいな感じです。星野さんは『やられたら、すぐやり返してこい』と言ってくれる人。山田さんは、やられたら無視する人。あくまで僕の取り方ですよ」

 星野は"燃える男"という愛称のごとく、ときに鉄拳制裁がありながらも選手全員と向き合い、前に導いてくれるボスだった。

 対して、1999年から投手コーチを務める山田は違った。岩瀬仁紀を熱心に指導しリリーフエースに羽ばたかせた一方、前田やほかの投手陣への接し方はまるで対照的だった。

「川上憲伸や岩瀬が打たれた次の日は何事もなかったかのように接するのに、僕や正津(英志)、遠藤(政隆)の場合は無視。全員無視ならいいんです。あの方はひょっとしたら『前田はそういう扱いをしても大丈夫』と思っていたかもしれないけど、僕からしたら不信感しかありませんでした。山田さんが(自分を)無視するような人でなければ、ドラゴンズを出る理由は正直なかったです」

 それでも球団と条件面で合致すれば、人間関係は我慢し、残留しようと思った。前田にとって最優先事項はお金であり、プロとしてビジネスライクに割り切ろうとしたのだ。

 交渉を始めた頃、中日は「これだけ出すから」という話だった。しかし突如、「そんなに出せない」と急変する。前田への評価が変わったわけではなく、球団としての事情だった。

 当時リリーフ陣で最高給取りだったのが、セットアッパーの落合英二だ。当初のオファーで前田を残留させると、落合の条件を上回る。球団的に、それはよろしくない。"序列"が崩れるからだ。

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