想定外だった巨人へのFA移籍。前田幸長に決断させた「監督」「お金」問題 (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 そこで前田への提示額を見直すことにした。

「当初の額より下げられたら、『は?』ってなるじゃないですか。『じゃあ、いいです。必要とされるところに行きます』ってFA宣言しました」

 最優先事項の"お金"で中日と折り合わず、次に希望したのが"地元でプレーすること"だった。福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)への移籍である。

 しかし、ソフトバンクに球団売却する3年前の2001年、ダイエー球団の親会社はバブル崩壊の激流に飲み込まれていた。土地価格の暴落で負債を膨らませ、創業者の中内功が退任。球団売却した2004年には、負債は2兆6000万円に膨れ上がった。ホークスにFAで選手を補強する余裕など、あるわけがなかった。

 そんなタイミングで前田に興味を示したのが、原辰徳の監督就任が決まった巨人だった。前田がFA宣言を考え始めた頃、念頭にあった球団ではない。話を聞いてみると、条件面で合致した。

「僕はエースでも4番でもない、普通の中継ぎ投手です。それでも原さんが必要としてくれ、給料を上げてもらえるということでした。条件面はジャイアンツからすれば"普通"かもしれないけど、他からすれば"破格"かもしれないです」

 当初、巨人は3年契約を提示した。

「4年で、(額を)もう少しお願いします」

 前田の要求を受け入れた巨人は、さらなる提案を持ちかけた。

「(契約の後半は)変動でどう? 頑張れば上がるし、そうでなければ下がるし」

 だが、前田は頑張れば上がる変動制ではなく、固定契約を望んだ。妻と4人の子どもがいて、これから高等教育を受ける長女の学費は高くなっていく。一家の大黒柱として、安定的に稼ぐ必要があった。

「当時31歳のリリーフピッチャーが頑張ったら、1億円の年俸が2〜3億円になるかと言えば、現実離れしています。己を知り、家庭の環境も考えると、下がるのは困るなと。一家の主人として、守っていかないといけないものがある。そのためにジャイアンツを選びました」

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