想定外だった巨人へのFA移籍。前田幸長に決断させた「監督」「お金」問題 (4ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 単年契約に変わった2006年以降は「何とかしなきゃ」と思いながら、そうはできなかった。翌年は15試合で0勝1敗、防御率5.06。自由契約となり、通算19年に及ぶNPBでのキャリアに終止符を打った。

 次に目指したのが、海の向こうだった。"守るべき家族"に対する責任を果たし、自身の夢を追ってメジャーリーグに挑んだ。

 最高峰の舞台にたどり着くことはできなかったが、テキサス・レンジャーズ傘下の3Aに残り100試合強の時点で合流し、36試合に登板。20連戦をこなし、1日休んで25連戦という米国流の過密日程もあるなか、約55イニングを任された。1試合で最長3回3分の2イニングを投げるなど、最後まで"タフネス左腕"を貫いた。

 高卒でプロの世界に身を投じ、現役生活20年。エースでも守護神でもない前田が38歳までプロ野球選手を続けられたのは、自身の意思を強く持ち、キャリアを主体的に組み立てたからだ。

「ロッテでは有藤通世さんに始まり、金田正一さんに鍛えられ、中日では野球の技術的なところや必要なものを星野仙一さんに教えられ、巨人では原辰徳さんに勝負の執念を学びました。いいタイミングで、いい指導者に出会いましたね」

 前田は"旅"を繰り返すなか、自身をレベルアップさせていった。そうしてキャリアを築いた一方、"生え抜き"という選択を否定する気はない。大事なのは、どうすれば自分の人生をよりよくできるかだ。

「FAって、選手として何を目指すかというところですよね。憧れのチームに行くのか、条件面で選ぶのか、もともとのチームが好きで残るのか。残留すれば、『将来は監督やコーチに』とかも考えると、FAにはメリットとデメリットが絶対あります。かといって、FAで移籍したら球団に呼び戻されないことはあまりないんですけどね」

 1度きりで、決して長くないプロ野球人生。一人でも多くの選手が充実したキャリアを送れるよう、FAの制度設計と報道のあり方を見直すべきだと前田は考えている。

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