【夏の甲子園2025】青藍泰斗を35年ぶりの聖地へと導いた「4番でエース」「在任2年の主将」「27歳の青年監督」
「4番・ピッチャー〇〇くん」というアナウンスを耳にする機会は、来年以降ぐっと減りそうだ。現在でも"絶滅危惧種"といえる存在だが、2026年春の公式戦からはDH(指名打者)制の導入が決定している。これにより、投手が打席に立つ代わりに、打力のある強打者がラインナップを埋めるケースが増えるだろう(DHを使用しない選択も可能)。
青藍泰斗のエースで4番・永井竣也 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【エースで4番は野球の醍醐味】
青藍泰斗(栃木)のエース・永井竣也は、栃木大会で打率.333を記録した好打者だ。投手としても決勝の作新学院戦で完投勝利を挙げ、チームを1990年夏以来となる2度目の夏の甲子園へと導いた(旧校名は葛生)。
佐賀北(佐賀)との1回戦、マウンドに上がったのは4番を務める永井だった。
しかし、2回裏に1点、3回裏に2点を失い、計6つの四死球を与えて降板。永井はマウンドを鈴木俊世に託し、センターへと回った。永井は言う。
「自分のピッチングができなくて、自分のせいで負けてしまったので後悔しています。緊張のせいで、いつもとは違うピッチングフォームになってしまいました。初回は0点で抑えられて少しだけ楽になったんですけど、2回も緊張してしまって......」
試合は4対4のままで進んだ。その後、永井は6回から再びマウンドに上がり、5奪三振の好投を見せた。
「センターを守っている時は、『絶対に抑えてほしい』『もう一回マウンドで投げたい』と思っていました。(再登板してから)いいピッチングができたのは、ベンチにいるピッチャー陣がピッチングフォームの修正をかけてくれたから」
試合は延長にもつれこんだ。10回表、ツーアウト一、二塁で打席に立った永井は三振に打ちとられた。そして10回裏、ワンアウト満塁からスクイズを決められサヨナラ負け。
「あの場面でスクイズも頭にはあったんですけど、初球がボールだったのでストライクを取ることしか考えていなくて......最初から最後まで楽しくプレーできましたが、本当に悔しいです」
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著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長




























