【夏の甲子園2025】東洋大姫路・木本琉惺の「下剋上物語」 あきらめかけたレギュラーの座を8割バントの練習でつかんだ
東洋大姫路・木本琉惺「下剋上物語」(後編)
このままでは、自分の高校野球が終わってしまう──。
進退きわまった木本琉惺は、自分に何ができるかを自問自答した。
猛アピールで東洋大姫路のレギュラーを勝ちとった木本琉惺 photo by Matsuhashi Ryukiこの記事に関連する写真を見る
【3年春の県大会で初のベンチ入り】
「自分にはパワーがない。それなら、足とバントでアピールするしかない」
東洋大姫路の打撃練習は、6カ所設けられたケージを回って打ち込む。周りが快音を響かせるなか、木本はひたすらコツコツとバントを繰り返した。
「6カ所のうち、4〜5カ所でずっとバントをしていました。真っすぐも変化球も、いろんなパターンを練習しました。たまに打つことはありますけど、打ったってパワーがないので。8割はバントしてました」
苦手だったセーフティーバントも、猛練習を重ねた。いつしか、「うまくなってきた」と自信がついてきた。
ただし、3年春のセンバツでも、背番号をもらえる20人のメンバーには入れなかった。チームは阪下の故障もあり、2回戦で敗退。木本にとって甲子園へのチャンスは、夏を残すのみとなった。
ここで、あるアクシデントが起きた。春の県大会を前に、中堅レギュラーの伏見が負傷したのだ。木本はなりふり構わず、アピールに努めた。
「ランナー付きのノックで、率先してランナーをして、足をアピールしました。とにかく足とバントだけには自信があったので」
チームもバントができるつなぎ役を求めていた。欠けていたピースがハマるように、木本は初めてのベンチ入りを果たす。
だが、すべてが順風満帆だったわけではない。近畿大会の大阪桐蔭戦では、得意のはずのバントを失敗してしまう。
「失敗を引きずって、バントのやり方がわからなくなりました。練習でもミスばかりして......」
せっかくつかんだチャンスをふいにしてしまうのか。焦る木本を救ったのは、またしても仲間たちだった。
「いろんなヤツがアドバイスをしてくれて、ひたすらバントの練習をしました。1年の頃から同期には助けられてばかりでしたね」
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。




























