2020.12.25

「ロッテの野球をやってんじゃねえ」。
前田幸長の選手寿命を延ばした言葉

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

【短期連載】FAは誰を幸せにするのか?(5)

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 甲子園で注目を浴びて1988年ドラフト1位でロッテ入団、志願のトレードやフリーエージェント(FA)宣言による巨人移籍を経て、37歳になってメジャーリーグという夢を追いかけた。

 左腕投手の前田幸長が通算20年間もプレーできた背景には、計算されたキャリア設計がある。

「みんなキレイごとばかり言うかもしれないですけど、まずはお金の問題が一番というのがありました」

 高卒11年目にFA権を取得し、同13年目に行使した理由をキッパリ振り返る。お金と向き合うことは、前田にとって現役生活をいかに組み立て、人生を豊かにするのかと同義だった。

中日に移籍後、首脳陣に直訴して先発から中継ぎに転向した前田幸長 19年間に及んだNPB時代を振り返り、このサウスポーを最も特徴づける成績がある。歴代43位タイの通算595試合に登板----。エースでも、守護神でもない。179センチ、70キロの痩身で、速球は140キロそこそこしか出ない。

 それでも先発から中継ぎまでこなし、宝刀ナックルを武器にする"使い勝手のいい"投手だった。

「自分がこの世界で長く生きていくためには、いろんなものを変え続けなければいけない。そう思いながら、ずっと探しながらやってきました」

 1980年代後半から1990年代半ばまで"暗黒時代"と言われるほど弱く、人気のなかったロッテで5年連続2ケタ黒星という不名誉な記録を刻んだ。その間に8勝と9勝が各2回あったのは、それだけ打線の援護に恵まれなかった裏返しかもしれない。

 1996年に志願してトレード移籍した中日では、首脳陣に直訴して3年目から中継ぎへ。"タフネス左腕"として生きる道を見つけた。

 2001年オフにFA宣言し、巨人入団。キャリアのピークを迎え、自身初の日本一を経験した。

 野球への探究心は国内だけで飽き足らず、37歳で渡米する。「1球でもいいから投げたかった」というメジャー昇格こそかなわなかったが、レンジャーズ傘下の3Aでベースボールの奥深さを体感した。

「1球団にずっと留まりたがる人もいるでしょうけど、僕はそうではなかったですね」