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【高校野球】甲子園を沸かせた「ミラクル市川」の魂は消えない 3校統合で誕生した青洲高校が築く新たな伝統

  • 内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

 山梨県の高校野球シーンにおいて、近年では文句なしに山梨学院を思い描くファンは多いだろう。2023年の選抜大会で春夏通じて県勢初の甲子園優勝を果たすと、今夏はドラフト1位候補に挙がる二刀流右腕・菰田陽生投手(3年)を中心に、県制覇はおろか、初の夏の甲子園での日本一に期待がかかる。

 その絶対王者を追う東海大甲府や日本航空といった私学優勢の勢力図に負けじと、公立の星として奮闘する高校がある。

市川OBであり、現役時代は甲子園に出場した青洲高校・佐野大輔監督 photo by Katsuharu Uchida市川OBであり、現役時代は甲子園に出場した青洲高校・佐野大輔監督 photo by Katsuharu Uchidaこの記事に関連する写真を見る

【伝統校統合で誕生した青洲高校】

「青洲(せいしゅう)」と聞いてピンとくるファンはよほどの高校野球通だろう。春夏通算5回の甲子園出場を誇る市川と、同じく2回出場の峡南、そして増穂商の3校が統合され、2020年4月に開校した県立校だ。

 なかでも市川が甲子園で残した足跡は、今もなお鮮烈な輝きを放っている。1991年の選抜で甲子園に初出場すると、エース右腕の樋渡卓哉(ひわたし・たくや)を中心に2試合連続の逆転サヨナラ劇を演じて4強入りを果たした。アルプススタンドから押し寄せる大歓声のなか、泥まみれになりながら聖地を沸かせたその快進撃は、全国の野球ファンから「ミラクル市川」と称えられ、球史にその名を刻んだ。

 同年夏もベスト8まで進出すると、1994年夏には卓哉さんの3歳下の弟・勇哉さんもエースとして甲子園に出場。「樋渡兄弟」の活躍は、山梨の公立野球の全盛期を象徴するドラマだった。

 しかし、少子化の波は避けられず、同じ峡南地域にある市川、峡南、増穂商の統合が決定。2019年夏を最後に単独校としての歴史に幕を下ろし、2020年に「青洲」が誕生した。市川からそのまま指揮官を引き継いだ佐野大輔監督が当時を振り返る。

「ちょうどコロナの時期も重なって、3校合同になった時も、それぞれのチームが人数も少なく、練習がままならないような時期もありました」

 開校と同時に世界を襲った新型コロナウイルスの流行により、予定されていた開校式や入学式は中止。1カ月以上の休校や分散登校を余儀なくされ、生徒全員が一度も揃わない異例のスタートとなった。

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著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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