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イチロー世代の三冠王・松中信彦が
独立リーグ指導者として伝えたいこと (2ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • 写真提供●香川オリーブガイナーズ

── 松中さんは2015年にソフトバンクを退団しましたが、現役続行の道を模索していました。

「40歳を過ぎてから目の衰えを感じていて、思うようにプレーできないこともありました。でも、2015年は二軍とはいえ結果を残していたので、『やれる』という自信もありました。自分としては最後のチャレンジの場がほしい、あきらめがつくところまで野球をやりたかったのですが......。

 チームも優勝争いをしていましたし、なかなかそうした機会がありませんでした。そこで退団してオファーを待ちました。自分のなかでは、キャンプまでにオファーがなければ引退しようと思っていました」

── そして2016年3月に引退を表明しました。

「引退してからは指導者の勉強もしましたが、同時にハンドボールの普及にも携わりました。そもそものきっかけは長男がハンドボールをやっていて、福岡選抜にも選んでいただき、全国2位になったのですが、試合を見ているうちにハンドボールの楽しさに気がつきました。

 そうした縁もあって、2019年に熊本で開催された『2019女子ハンドボール世界選手権大会』でアンバサダーを務めさせていただきました。引退してからはどちらかといえば、野球よりもハンドボールのことを考えるほうが大きなウエイトを占めていたかもしれません。ハンドボールは野球よりもマイナーなスポーツで、あまり知られていません。何とかハンドボールをもっとメジャーにできればと考えています」
※2020年7月28日に日本ハンドボールリーグのアンバサダーに就任した

── ハンドボールに触れることで、野球の見方に変化はありましたか。

「指導者の教え方が違いましたね。僕らが子どもの頃は、上からガンガン言われて育ってきましたが、ハンドボールの指導者は子どもの反応を見て、納得するように教えている。厳しさも大事だと思いますが、今はこうした教え方をするのがいいのかなと思いましたね」

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