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バレンティンが語った「60本塁打、イチロー、そして......」 (4ページ目)

  • ブラッド・レフトン●text by Brad Lefton

 来日3年目の2013年、記録的なスピードでホームランを量産したバレンティン。初めて日本新記録の56本塁打に届くのではないかと思ったのは、8月下旬に広島マツダスタジアムで47号、48号を放った時だったという。しかし、50本に到達した時、思ってもいなかった試練が待ち受けていた。

「どこに行っても、記録の話題で持ちきりでした。ファンや記者に追いかけられることはある程度予測していたのですが、クラブハウスや自宅にまで押しかけられるとは想定外でした。精神的にきつかったですが、その度にチームメイトが励ましてくれてくれ、自宅に帰れば日本に来ていた母親が応援してくれました。それらのサポートに非常に感謝しましたが、正直、プレッシャーに押し潰されそうでした」

 ある友人は、バレンティンにこんなことを告げた。「外国人選手が本塁打の日本記録に近づくと、ピッチャーはまともに勝負してこない」と。そのいい例が、タフィー・ローズ(元近鉄)やアレックス・カブレラ(元西武)だった。しかし、バレンティンはプレッシャーを乗り越えるため、イチローの経験を思い出していたという。

 2004年、バレンティンが20歳の時、イチローはジョージ・シスラーの年間安打数記録を塗り替えた。当時、バレンティンはマイナーにいたが、イチローの記録更新に強い関心を寄せていた。なかでも、ピッチャーはイチローと勝負していたという記憶が、バレンティンを勇気づけた。

「彼らはイチローと勝負していました。だからこそ、イチローも記録に挑戦することができました。私も考えをポジティブにし、僕にも挑戦させてくれるだろうと。その時に、勝負してこないという心配はなくなりました。ポジティブに考えればいいのです。この考えに支えられました」

 投手たちはバレンティンと勝負し、バレンティンの集中力も日を追うごとに高まっていった。そして2013年9月15日、ついに歴史は塗り替えられた。

 今シーズン、バレンティンは4年連続本塁打王に挑む。日本中を熱狂させたホームラン狂想曲を再び見ることができるのか。4年目のバレンティンに注目したい。

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