バレンティンが語った「60本塁打、イチロー、そして......」 (3ページ目)
2011年、2012年と31本塁打のバレンティンだったが、昨年は60本と飛躍的に数字を残した。注目すべきは、ホームランを量産する一方で、三振率が減少していることだ。
2011年 555打席中131三振(三振率23.6%)
2012年 422打席中92三振 (三振率21.8%)
2013年 547打席中105三振(三振率19.2%)
この数字に関して、誰からのアドバイスがあったのかと聞くと、バレンティンは次のように答えた。
「私自身です。ちょっと頭がいいところがあるでしょ。マイナーリーグにいた時も同じだったんです。ホームランも打ちましたが、同時に三振がすごく多かった。とにかく、三振を減らしていけば、もっといい打者になれると思っていました。自分の目標として毎年、三振を減らすことを心掛けていました」
バレンティンの言葉通り、マイナー時代、三振を減らしていたのは確かだった。初めて100試合以上プレイしたのが、2005年のシングルAのインランド・エンパイヤーだった。
2005年 539打席中160三振(三振率29.7%)
2006年 522打席中140三振(三振率26.8%)
2007年 544打席中105三振(三振率19.3%)
だが、メジャーでは三振を減らすことができなかった。その理由をバレンティンは次のように語った。
「私はまだ若かった。でも、言い訳はしません。メジャーでプレイしていた時は、まだいろいろな部分で成長しきれていませんでした。私が思うに、対応力を上げていくには、毎日プレイする必要があると思うんです。どの選手もそうだと思うのですが、1週間のうち、1、2回プレイするだけでは難しい部分があります。特に私は、毎日プレイしなければいけないタイプの選手だと思っています。そのリーグに慣れるためには、数試合でも間が空いてしまうと、私はダメなのです。その点、ヤクルトでは毎日試合に出ることができました。とても幸せなことですし、これによって対応できるようになりました」
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