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5球団競合の155キロ右腕・由規が見せた"怪物らしからぬ素顔" 「もともと左利きなんです」「メンタルも強くないんです」 (4ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

【ヤクルトで「由規2世」を育成中】

 由規のボールを受けた際、もうひとり印象に残った選手がいた。私がものすごいボールをヒーヒー言いながら受けている間、ずっと脇で付き添ってくれた捕手の松本淳平くんだ。由規と同じ3年生で、「流しのブルペンキャッチャー」のファンだという。

 明朗、快活で元気いっぱい。その後、横でほかの投手の球を受けている彼に、「なんだ、元気ねえな、淳平!」と突っ込むと、「(捕球の)音、ショボいっすねえ!」なんて返してくる。

 そんな感じでワアワア言いながらやっていた。彼のおかげで、150キロを受ける勇気をたくさんもらったものだ。そして、よく見ると、この松本捕手のキャッチングがすばらしい。

 捕球点がすごく体に近いのだ。怖いものだから、早く捕ってしまおうとミットを前へ突き出していた私のヘボいキャッチングとは、まるで正反対の「技術」だった。いいものを見せてもらった。これを真似させてもらおう。

 左腕を伸ばし気味にミットを前で構え、投手のモーションに合わせて、ミットを下へ落とさず手前へ引きながらタイミングをとる。そして、プロテクターの前でポンと捕球する。すると、それまでより腕の長さの分だけボールを長く見ることができ、快速球も変化球もいくらか怖くなくなった。

 彼の技術のおかげで、私のブルペンキャッチャー寿命は10年ぐらい伸びたと思っている。

 由規はヤクルトでの11年間で通算32勝を挙げ、2019年には地元・仙台を本拠地とする楽天へ移籍。その後はBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ、台湾プロ野球の楽天モンキーズでもプレーし、2024年限りで現役を引退した。

 2010年には当時の日本人投手最速となる161キロを叩き出した。一方で、現役時代は何度も故障に苦しみ、長いリハビリの日々も経験した。

 そして現在は、古巣ヤクルトの二軍投手コーチとして、後進の指導に汗を流している。

 高校3年の秋、あれほどの剛速球を投げながら、「自分なんて、まだまだなんで......」と繰り返していた由規。あの頃は、自分のすごさよりも、自分に足りないものばかりが見えていたのかもしれない。

 剛速球で打者をねじ伏せた喜びも、思うように投げられない苦しさも知っている。161キロを叩き出した栄光も、マウンドから遠ざかるリハビリの日々も経験した。そんな由規だからこそ、伝えられるものがあるはずだ。いつの日か神宮のマウンドに、由規が育てた「由規2世」が立つ。そんな日が来ることを、楽しみに待ちたい。

佐藤由規(さとう・よしのり/登録名:由規)/1989年12月5日生まれ、宮城県出身。仙台育英高で3度甲子園出場。3年夏は甲子園のスピードガンで最速の155キロをマークし(当時)、2007年高校生ドラフトで5球団競合の末、ヤクルトに入団。2010年に日本投手最速(当時)となる161キロを記録し、キャリアハイの12勝を挙げる。しかし翌2011年に右肩を故障すると2015年まで1軍登板なし。2019年に地元の楽天や、台湾球団の楽天モンキーズ、BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズを経て、2024年限りで現役を引退。今季は古巣ヤクルトの2軍投手コーチを務める

著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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