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【高校野球】「KK最後の夏」が次の黄金時代をつくった 中村順司が語る、桑田真澄・清原和博から立浪和義らへ受け継がれたもの

  • 新田光●文 text by Hikaru Nitta

中村順司インタビュー(後編)

 1年夏に全国制覇を果たした桑田真澄、清原和博らのPL学園は、その瞬間、「追う立場」から「追われる立場」へと変わった。そしてふたりが3年生となった1985年、周囲から向けられたのは「勝って当然」という厳しい視線だった。しかし、春の選抜では伊野商の渡辺智男の前に屈し、準決勝で敗退。その夜から、清原はひとり室内練習場でバットを振り込み、桑田は夏まで驚くほどの走り込みを続けた。その姿を間近で見ていたのが、1年生だった立浪和義、野村弘樹、橋本清、片岡篤史ら、のちにPLの黄金時代を担う選手たちだった。最後の夏の全国制覇と、その先へ受け継がれていった「PLの強さ」を、元監督の中村順司氏が振り返る。

甲子園通算58勝を挙げたPL学園・中村順司監督 photo by Sankei Visual甲子園通算58勝を挙げたPL学園・中村順司監督 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【KKだけではない個性派軍団】

── 1年夏に全国制覇を果たし、桑田選手、清原選手が最上級生となった1985年は、「勝って当然」という目で見られるチームになりました。

中村 ただ、私自身は「自分たちは強い」と思って戦ったことは一度もありません。高校野球は何が起きるかわからない。それを教えてくれたのが、1年夏の池田戦でした。圧倒的に不利と言われた試合でも勝つことができた。ということは、逆のことだって起こるわけです。周囲から「勝って当然」と言われても、そんな簡単なものではないと思っていました。

── 最上級生のチームでは、松山秀明選手が主将を務めました。

中村 松山は兄貴分肌で、チームをよくまとめてくれました。選手はそれぞれ個性が強く、普段の考え方も違います。ただ、野球になれば全員が「自分は何をしなければいけないのか」をよく理解していた。そういう集団を松山がひとつにまとめてくれました。

── 投手陣には桑田だけでなく、左腕の小林克也選手、大型右腕の田口権一投手もいました

中村 小林は縦のカーブがよかったですし、長身の田口はボールに角度がありました。桑田とはタイプの違う投手がいたことも大きかったですね。勝負どころでは桑田でいきましたが、練習試合などではひとりの投手に無理をさせないようにしていました。

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