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【追悼】渡辺元智から村田浩明へ ひとりの少年の人生を変えた新聞記事と、横浜高校に受け継がれる"魂" (4ページ目)

  • 楊順行●文 text by Nobuyuki Yo

 たとえば、走者の第二リード。横浜の選手は1球ごとに限界ぎりぎりまでリードを取ることを怠らない。バントが微妙なコースに転がった時、そのわずかな差が進塁の成否を左右するからだ。

「つねに変化する状況のなかで、どういうプレーをするのがベストかを瞬時に判断する。選手たちには、まずそういう判断力を養ってもらいたいんです」

 それが渡辺監督の考えだった。

【今も横浜に息づくゲンさんの野球】

 経験を重ねるにつれ、選手の心を動かす手綱さばきも巧みになった。1998年夏、3回戦の前日練習で選手たちに気合いが入っていないと見ると、雷を落とし、練習を途中で切り上げた。打撃練習もできず、内心には不安もあった。それでも毅然とした態度を崩さず、あえてチームに喝を入れた。

 翌日、球場へ向かうバスの中で、マネージャーが渡辺監督に耳打ちした。

「選手はみんな、近くのバッティングセンターで遅くまで練習していました。深夜まで素振りをしていた者もいます」

 その試合、横浜は強敵・星稜(石川)に5対0で完勝した。

 その後も2006年春の選抜を制し、渡辺監督のもとからは数えきれないほどのプロ野球選手が巣立っていった。

 近年、甲子園で「ゲンさん」と顔を合わせるのは、テレビ中継の解説に訪れた際に挨拶を交わす程度になっていた。監督を退いてから、以前にも増して柔らかくなった笑顔が、今も思い出される。

 そして今、かつて渡辺監督の記事を読んで「横浜高校で野球をしたい」と憧れた少年が、横浜の監督となり、選手たちを率いて甲子園を戦っている。

 1球ごとに最善を尽くし、自ら判断し、仲間と意思を通わせる──時代が変わり、監督が変わっても、その野球の根っこには、ゲンさんが長い歳月をかけて横浜に植えつけたものが、たしかに息づいている。

合掌

著者プロフィール

  • 楊 順行

    楊 順行 (よう・のぶゆき)

    1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に"初出場"した甲子園取材は66回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて57季連続"出場"中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)ほか

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