横浜高校OBが語る「松坂大輔以上の逸材」。すべてがずば抜けていて「大谷翔平に近かった」
横浜高校野球部OBインタビュー 前編
松坂以上と言われた伝説の投手
春夏計5度の甲子園優勝を誇る名門・横浜高校において、かつて「松坂大輔以上の逸材」と言われた選手がいた。将来を嘱望されながら17歳という若さで急逝した丹波慎也だ。
かつて同校野球部を率いていた名将・渡辺元智が、過去のメディア取材で「50年の教え子の中で、とりわけ文武両道に長けていた選手」とも評した丹波とは、一体どんな選手だったのか。
丹波が1年生の時の3年生で、多村仁志(元横浜、ソフトバンク)や斉藤宣之(元巨人、ヤクルト)らと共に甲子園に春夏連続出場(1994年)した山本哲也に、当時のことを振り返ってもらった。
1996年の春のセンバツで、前年に急逝した丹波慎也の遺影を手に応援する横浜高野球部員 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る――丹波投手は、山本さんが3年生の時に1年生。どんな印象の選手でしたか?
山本哲也(以下:山本) 当時、1年生で背番号をもらっていたのが4人ぐらいいたのかな。そのうちのひとりが丹波でした。のちに中日に入団した幕田(賢治)や、僕らが引退したあとにキャプテンになった池浦(聡)、現在は西武で打撃コーチを務めている阿部(真宏)もそうでした。いい選手が多かったので、その世代も強くなるんじゃないかと言われていましたが、その中でも丹波はずば抜けていましたね。
――入部する前から丹波投手の噂は聞いていましたか?
山本 「中本牧リトルシニア」(横浜市中区)という中学硬式野球チームで活躍をしていて、シニアのオールジャパンにも入っていたのかな。「ピッチングだけじゃなくてバッティングもいい、すごい選手がいる」と聞いていました。当時、僕らの代のエースには矢野(英司)、ひとつ下の学年に横山(道哉)と、のちに横浜に入団する2人がいたのですが、丹波はそれ以上と言われていましたね。
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