捕手→投手へわずか3年で148キロ。プロ注目・神戸弘陵のエースは夏の甲子園へチームを導けるか
例年以上に混戦が予想される今夏の兵庫で、優勝候補の一角として挙げられているのが神戸弘陵だ。前回、夏の甲子園に出場したのは1989年夏。32年ぶりの甲子園を目指す神戸弘陵のキーマンは、プロスカウトも注目する最速148キロ右腕のエース・時沢健斗だ。
時沢の名が広く知られるようになったのは、昨年秋の県大会2回戦の報徳学園との一戦だ。先発した時沢は、初回に味方の失策で失点を許し、5回にもソロ本塁打を浴びたが、5安打2失点で完投勝利を飾った。
最速148キロを誇る神戸弘陵のエース・時沢健斗 山本由伸(オリックス)を参考にしてマスターしたというフォークが面白いように決まり、優勝候補に挙げられた報徳学園の打者を手玉にとった。その後、東洋大姫路にも勝利するなど、ベスト8まで勝ち進んだ。
「あの試合(報徳学園戦)からチームも勢いがつきましたけど、自分がもっとしっかり投げていれば完封できた試合でした」
強豪相手に会心のピッチングを見せたが、完璧に抑え込めなかったことを悔やんだ。
そんな時沢だが、本格的に投手を始めたのは高校に入ってからだという。もともとは捕手で、現チームで3番を打ち、センター兼投手の山河斗真とは小学4年からバッテリーを組んでいた。
そんな幼馴染とともに甲子園を目指し神戸弘陵に進んだのかと思いきや、「たまたま志望した高校が同じだっただけ」ということらしい。
入学すると、時沢は「ずっとやってみたかった」と投手を志望した。ほとんどこなしたことのないポジションへの挑戦にもかかわらず、神戸弘陵の指導者は誰も「ノー」とは言わなかった。
岡本博公監督は言う。
「うちは基本的にやりたいポジションについては本人の意思を尊重するので、時沢が投手をやりたいと言った時も、別にどうこう言うことはありませんでした。自分でやりたいと言った以上は本人にも覚悟が出ますし、とことんやりたいと思うまでやらせます。
ただ、投手を始めた当初はけん制もフィールディングもまったくの素人で、ピッチャーらしくはなかったですね。それでも吸収能力がすごく高く『こうやってやるんやで』と教えると、1、2週間でちゃんと形になっている。そこはたいしたものだと思います」
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