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「投手のよさを引き出す捕手」はいかにして生まれたか 履正社の坂本誠志郎が侍ジャパンの守りの要になるまで

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第29回 坂本誠志郎(阪神)前編

 アマチュア時代から見てきた選手のその後の姿に、『あの選手がここまで成長するとは......』と驚かされることは少なくない。そのなかで、坂本誠志郎(阪神)はいい意味で期待を裏切ってくれた選手の筆頭格である。

履正社時代は甲子園に2度出場した坂本誠志郎 photo by Ohtomo Yoshiyuki履正社時代は甲子園に2度出場した坂本誠志郎 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る

【軟式出身ながら履正社へ進学】

 WBCに向けた侍ジャパン合宿がスタートした2月14日、日刊スポーツ大阪版の一面には『世界一ウイニング球捕る』の見出しとともに、右手を握りしめて笑顔を見せる坂本の写真、そしてインタビュー記事が掲載されていた。

 今季から1億円プレーヤーとなり、日本一奪還を目指す阪神の主将にも就任。大事なシーズンを迎えるが、その前に、侍ジャパンの守りの要として第6回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に初めて出場することになった。

 まさに「あの坂本が......」という思いで記事に目を通しながら、「阪神の坂本」が「日本の坂本」になる以前、まだ「履正社の坂本」だった頃を懐かしく思い出していた。

 坂本の野球人生は、履正社への進学で大きく動き出したと言っても過言ではない。出身は兵庫県養父郡養父町(現・養父市)。兵庫県は広大で、大阪に隣接する都市部もあれば、北は日本海、南は瀬戸内海に面し、自然豊かな地域も多い。但馬地域の中央に位置する養父町も、緑に囲まれた町だ。坂本は町内にある中学校の軟式野球部で、日々練習に打ち込んでいた。

 兵庫は大阪に比べて軟式野球部の活動が盛んな土地だが、履正社や大阪桐蔭といった全国屈指の強豪校に進学し、レギュラーをつかむ選手、とくに野手は硬式出身者が大多数を占める。そのなかで、軟式野球界で有名だった坂本は、履正社へと進むことになる。

 当時の履正社監督・岡田龍生(現・東洋大姫路監督)には、高校時代の同級生でおもにスカウティングを担う人物がいた。その人物が軟式野球出身で、地元選手の情報が集まるなか、「守備が安定し、打力もある。人間的にも非常にしっかりしているキャッチャーがいる」と岡田に推薦してきた選手が坂本だった。

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

履正社時代は甲子園に2度出場した坂本誠志郎 photo by Ohtomo Yoshiyuki

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