使命感に押し潰されかけた今川優馬を救った父の言葉 フルスイングでつかんだ涙のドラフト
ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第25回 今川優馬(日本ハム)
生粋の道産子である今川優馬にとって、北海道日本ハムファイターズは憧れの球団だった。コロナ禍にあった2020年のドラフト会議では、意中の球団からの指名をただ静かに待ち続けた。名前が呼ばれない時間が過ぎるなかで、今川の脳裏には「指名漏れに終わった2年前のドラフト」がよぎっていた。
JFE東日本時代の今川優馬 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【野球人生を変えた3打席連続本塁打】
大学通算25本塁打を放った東海大学北海道キャンパス時代、ドラフト志望届を提出したものの指名漏れ。そして社会人野球・JFE東日本で迎えた2年目、2020年ドラフト会議当日は、今川にとって自身2度目となる"運命の日"だった。それだけに胸に込み上げるものがあったのか、6位で指名を受けた瞬間、今川の目からは自然と涙があふれた。
「2年前にドラフト指名漏れを経験し、進路が決まっていなかった僕を拾ってくれたのが、JFE東日本の落合成紀監督でした。落合監督は僕のスタイルを認めてくださり、いつも『思う存分やってこい』と背中を押してくれた。こうして今、プロでプレーするチャンスをもらえたのも、落合監督のおかげです。感謝してもしきれません」
大学時代に流した涙とは違う、喜びと安堵が入り混じった涙だった。感謝の思いも詰まったその熱い感情を胸に、彼がそう語ったのは、プロへの道が開かれたドラフト直後の冬のことだった。
迷いのないフルスイングは、今川の代名詞だ。大学時代から貫いてきたその打撃スタイルで、JFE東日本では1年目から活躍の場を広げた。社会人野球のメインイベントである都市対抗野球大会を目前に控えた、社会人日本代表との強化試合。そこで今川は、3打席連続本塁打を放ったのだ。
「トップレベルの投手から打つことができて、社会人でも『やっていけるかもしれない』と思えた。インパクトを残せた試合だった」
当時、三菱重工神戸・高砂(現・三菱重工West)の大エースだった守安玲緒(もりやす・れお)から2本、四国銀行の絶対的エースだった菊池大樹から1本。バックスクリーンに2本とレフトへの1本は、今川の野球人生が好転していく大きなきっかけとなった。
著者プロフィール
佐々木亨 (ささき・とおる)
スポーツライター。1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)、『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボールマガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)などがある。



























