村上宗隆、清宮幸太郎と並び称された高校時代 安田尚憲は3年夏の大阪大会で驚異のOPS2.075を叩き出した
ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第26回 安田尚憲(ロッテ)
安田尚憲──ロッテでは1年目からホームランを記録し、2021年には球団史上最年少の21歳11カ月で開幕戦4番を担った。だが不調に陥ったここ2年は、1本のホームランすら打てずにいる。海を渡った村上宗隆(ホワイトソックス)、すっかり日本ハムの主力となった清宮幸太郎。履正社時代はそのふたりと並び称されるスラッガーだった。履正社高3年になる直前、2017年の取材を振り返る。
履正社時代は高校屈指のスラッガーと称された安田尚憲 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【PL出身の12歳上の兄の存在】
2016年、安田の年末年始は充実していた。12月末には、大阪府選抜の一員として台湾に遠征し、練習試合で高校通算45号を放った。
父・功さんが監督を務める大阪薫英女学院はその間、全国高校駅伝で2度目の優勝を果たし、正月には兄・亮太さんと心ゆくまで野球談義にふけった。PL学園から明治大を経た亮太さんは当時、三菱重工名古屋(現・三菱重工East)の捕手で主将。12歳離れた兄である。尚憲にとっては、「野球の師匠」だった。
「ボールとグラブを持って遊んでいた3歳の頃から、手ほどきしてくれました。小1の時に左打ちを勧めてくれたのも兄です。なんでも、『今は左打者が隆盛。その左打ち対策として左投手が多くなれば右打者が有利になるけど、さらに時間がたてばまた左打者の時代がくる」と考えたようです。
ですが現時点では、まだ右の長距離砲が貴重な段階で、兄は『失敗した。先を見すぎたかな』と笑っていましたね。ただほかにも、『注目されているからこそ、打撃はもちろん守備、走塁もしっかりやれ』などと助言されました。それと正月には、薫英陸上部の練習を兄と見学したんです。目線をそらさず、ずっと前を向いて走る選手の姿はかなり集中力が高く、勉強になりました」
履正社は、2016年11月に開催された神宮大会で優勝を飾った。決勝では、清宮のいた早稲田実と対戦。清宮が先制弾を放てば、安田が逆転の3ランでお返しして頂点に立っている。安田は、中学時代から清宮の名前を意識していたという。
著者プロフィール
楊 順行 (よう・のぶゆき)
1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に"初出場"した甲子園取材は66回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて57季連続"出場"中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)ほか



























