甲子園に育てられた万能型プレーヤー・平沼翔太 大阪桐蔭にリベンジ→福井県勢初の全国制覇を達成 (4ページ目)
この対応力の高さは特筆に値する。たとえば準々決勝の静岡戦や準決勝の大阪桐蔭戦では、球種を見破られている気配を察すると、セットポジションでのグラブの高さをランダムに変え、相手の目線をずらした。そこには、本人が「自信がある」と語る冷静さが表われている。
象徴的だったのが、東海大四(北海道)との決勝戦の2回の守備だ。無死一塁からのバントは投前への小フライ。ショートバウンドで処理すれば併殺も狙える場面だったが、平沼はあえてダイレクトでスライディングキャッチを選択した。
「グラウンドがぬかるんでいて、ショートバウンドの処理は何が起こるかわからなかった。あの場面は最低でもひとつアウトを取れればよかったので、ダイレクトで捕りました」
結局、飛び出した一塁走者も刺し、結果的に併殺となった。
「打つほうは......まあ、ふつうでした」という打撃でも、静岡戦の初回に右足を大きく上げるフォームから先制2ラン。日常の練習は投手メニュー中心で、打席に立たない日もあるのに、この時点で高校通算21号というのは、持ち前のセンスによるものだろう。
その夏も甲子園に出場し、明徳義塾(高知)に勝利して初戦突破。結局、3度の甲子園出場で通算10勝、打者としても打率.375を残した。
15年秋のドラフトで日本ハムから4位で指名されプロ入り。21年のシーズン途中に西武へ移籍。さらに昨年12月9日に行なわれた現役ドラフトで、西武からオリックスへの移籍が決まった。表紙になるような活躍をまた見せてくれ!
著者プロフィール
楊 順行 (よう・のぶゆき)
1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に"初出場"した甲子園取材は66回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて57季連続"出場"中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)ほか
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