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甲子園に育てられた万能型プレーヤー・平沼翔太 大阪桐蔭にリベンジ→福井県勢初の全国制覇を達成 (3ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

 ちなみに、平沼が2年だったその夏の甲子園では、準決勝までは防御率1.13と快調だった。とくに、準々決勝の八戸学院光星(青森)戦は「体重移動がスムーズで、球に力があった。一番いいデキでした」と、2失点完投、10奪三振のピッチングを演じた。

 だが準決勝は、したたかな大阪桐蔭打線にクセを見抜かれ、疲労もあって5回12失点と粉砕された。

「もちろん自分の実力不足ですが、一生忘れられない試合。桐蔭は、たとえば低めの変化球は振らないとか、チームとして徹底してくるところがすごいんです。でも、そこまで差があるとは思いません。次やったら、抑える自信はあります」

 その言葉どおり、翌年春の選抜準決勝で、平沼は大阪桐蔭打線を4安打完封。打線も松本哲幣の2打席連続グランドスラム(満塁本塁打)の離れ業などで11点を奪い、リベンジを果たしている。

 結局、先述のように圧巻の投球を見せて平沼は優勝投手となるのだが、じつは大会前は散々だったという。ブルペンから球が走らず、練習試合でも簡単に打ち込まれ、「自分が投げたら迷惑がかかる」と落ち込んだほどだ。

 見かねた東監督が「無理やり肩を上げようとせずに、投げやすい位置で投げてみろ」と助言したのが、奈良大付との初戦前日だった。

「そうしたら、(去年の)夏と同じ軌道のボールがいったんです。『これだ!』と、その夜はけっこうシャドウをやって体にたたき込んだら、奈良大付戦は5回までノーヒット。最速も142キロが出たので、自信になりましたね。あとはその感覚を維持するだけでした」

【3度の甲子園で通算10勝】

 どん底状態からたった1日で無四球、10奪三振で1安打完封すると、その好調ぶりは大会中ずっと続いた。投げ終わるたびに帽子が飛ぶのは調子が悪い時だが、選抜ではそれがほとんどなかった。

「帽子が飛ぶのは、おそらく上半身頼みで投げている時。選抜ではうまく下を使えていたので、飛ばなかったんでしょう」

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