甲子園に育てられた万能型プレーヤー・平沼翔太 大阪桐蔭にリベンジ→福井県勢初の全国制覇を達成
ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第24回 平沼翔太(オリックス)
「表紙にしてくださって、ありがとうございました!」
平沼翔太で思い出すのは敦賀気比(福井)時代、2015年の選抜前。雑誌の取材に出向いた時だ。その雑誌の1つ前の号で14年の秋季地区大会の結果を掲載しており、その時に表紙になったのが平沼の投げている姿だった。その「お礼」のあとが面白い。
「僕が表紙で売れ行きはどうでしたか?」
なかなかの大物である。
優勝したその北信越大会では準決勝、決勝の2試合連続完封を含む22回連続無失点、打ってはホームラン2本を含む打率.667、7打点の大活躍で、のちにプロ入りする佐藤世那(仙台育英)、高橋純平(県岐阜商)、高橋奎二(龍谷大平安)ら、他地区のヒーローを抑えての表紙抜擢だった。
そして実際、選抜では、前年の夏に準決勝で敗れた大阪桐蔭に同じ準決勝で大勝して借りを返すなど、北陸勢として初優勝。平沼は、1学年下の山崎颯一郎(現・オリックス)に一度もマウンドを譲らず、5試合45回を自責点2、防御率0.40という圧巻の投球を見せた。
敦賀気比時代の3年春の選抜で優勝した平沼翔太 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【入学早々にレギュラーに抜擢】
「目をつけるのは早かった」と、ひそかに自負している。13年秋の北信越大会。敗れた日本文理(新潟)戦でライトを守っていた敦賀気比の1年生が、右前への当たりにダッシュし、一塁に矢のような送球でライトゴロに仕留めたのだ。
またそのあとも二死一、三塁からの右前打で、一塁走者が狙う三塁へ目の覚めるようなレーザービームも披露。この時はセーフだったが、このふたつのプレーを見てとんでもない選手だということはすぐにわかった。
さらに、試合終盤にはリリーフとして登板。試合後、林博美部長に「すごいですね、あのライト......」と言うと、こんな答えが返ってきた。
「先発の軸に使いたいのに、ケガをしちゃって。それでも、すぐに140キロかそこらは出ますよ。打つほうもいいので、夏の時点から外野のレギュラーでした」
事実、翌年の夏には最速144キロを記録し、スライダーとチェンジアップのキレも秀逸で、2年生ながら甲子園ベスト4にまで駆け上がることになる。
著者プロフィール
楊 順行 (よう・のぶゆき)
1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に"初出場"した甲子園取材は66回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて57季連続"出場"中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)ほか



























