夏の甲子園を目指す大分高・岩﨑久則監督は1990年にオリックスから4位指名 土井正三、仰木彬、野村克也から薫陶 (4ページ目)
それでも、オリックス・ブルーウェーブに球団名を変更した1991年、新人ながら中継ぎで11試合に登板した。まずまずの滑り出しのように思えるが、本人は「全然抑える自信がなかった」という。
「相手は木製だから通用するだろうなと思っていましたが、プロは打ち損じがないんです。甘く入ったら全部持っていかれる感覚です」
そのオフ、自身と同じドラフト4位で、のちにスターの階段を駆け上がる高卒選手が入団する。鈴木一朗。若き日のイチローである。
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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