名将・木内幸男の「唯一の失敗」とは...1987年夏の甲子園決勝・PL学園戦を常総学院のエース島田直也が振り返る (4ページ目)
【誰かが必ず見てくれている、野球人生の実感】
この時にあらためて思ったのは、「腐らずやっていれば必ず誰かが見てくれている」ということ。僕はこののち2度の自由契約を経験し、ヤクルトと近鉄でもプレーしましたが、やはり小谷さんをはじめ、周りで見ていてくれた人が声をかけてくれたおかげで、再びチャンスを手にすることができました。
いつ、どこで誰が見ているかわからない。誰も見ていないからと手を抜くのでなく、いつでも自分が何をすべきか考え、それを当たり前にやる。これも、目の前の選手たちに折々にかける言葉です。
今となってはこの体でよく16年間も現役をやれたなと思います。引退後は日本ハムの打撃投手を経て、BCリーグの信濃グランセローズの投手コーチとして指導者生活をスタートし、四国アイランドリーグPlusの徳島インディゴソックスの監督時代には年間総合優勝できました。
そのあと、再び横浜から声がかかり、二軍投手コーチとしてNPBに復帰。さらに職員として裏方に徹したあと、常総学院から指導者として来ないかと声をかけてもらったのが2019年です。
当初は迷いもありましたが、自分がここまで野球に携われたのも常総のおかげです。プロ4球団を渡り歩き、さらに選手以外の仕事と幅広く経験できたことも決して無駄ではないはず。そう思い、高校野球の指導者として母校に恩返しすべく、目の前にいる選手たちと対峙する日々を送っています。
後編<常総学院・島田直也監督の手応え「僕がいた甲子園準優勝時のチームに似ている」 名将木内幸男から受け継ぐ「準備と状況判断」>を読む
前編<常総学院「木内マジック」の裏側...1987年夏の甲子園準優勝投手・島田直也を勇気づけた木内幸男の言葉>を読む
【プロフィール】
島田直也 しまだ・なおや
1970年、千葉県生まれ。常総学院高3年春にエースとして同校の甲子園初出場に貢献。夏の甲子園では準優勝と大躍進した。日本ハムファイターズを経て、横浜ベイスターズ(移籍時は横浜大洋ホエールズ。現横浜DeNAベイスターズ)で開花。1995年には中継ぎとして自身初の2桁勝利を記録し、1997年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。1998年にはチーム38年ぶりの日本一にも貢献した。引退後は日本ハムの打撃投手、四国アイランドリーグPlusの徳島インディゴソックス監督、横浜DeNAの二軍投手コーチなどを歴任。2020年から母校・常総学院のコーチに就任し、同年7月より監督。2021年と2024年のセンバツに出場し、ともに初戦突破を果たす。
著者プロフィール
藤井利香 (ふじい・りか)
フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。
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